2019年3月9日土曜日

北風に負けた

今日は久し振りに埼玉県頭部の未調査地域である幸手市惣新田地区を歩いた。久し振りに北風をまともに受けながら中川の土手や風を避ける様な建物も無い田畑の中を歩いていると、防寒の備えはしていたのだが、北風に負けて14時過ぎに撤退。残りは近日中に歩く事にした。
 今日は、珍しい事に、どう見ても最近改修されたばかりと判るような構造物が相次いだ。宝永五子年(1708)の庚申塔が、今は見れば直ぐ判るが、これが年月を経て地衣類が着生し始めると、中には「妙に保存状態が良い庚申塔」等と勘違いが起きてしまいそうな代物だ。



新しいので、溶結凝灰岩の圧密レンズ構造も容易に観察されるし、

所々に妙に「輝石」らしき結晶が濃集している場所が在るので、白河石とみて間違いなさそうだ。


もう一つは、これは墓碑の一部分なのだが、三基共に他の部分は部材が異なるのだが、球形の部分だけは妙に綺麗な状態で似た様な寸法で造られている。しかもその内の一つはエポキシ樹脂で貼り付けている。



素材は、現場での見立ては画像で再度見ていると間違っていた可能性が有るので、次回はこの直ぐ傍のバス停から始める事にして、再確認しようと思っている。

2019年3月8日金曜日

GVP 火山活動情報の概要:2月27日 ⇒ 3月5日;15火山

Bezymianny  | Central Kamchatka  | 300250 | 2882 m
クベルトに拠れば2月28日から翌3月1日に掛けて強い熱異常が観察され、強い噴気が続いている事が確認されている。航空カラーコードは「オレンジ」

Karymsky  | Eastern Kamchatka   | 300130 |  1513 m
クベルトに拠れば2月22日、24-26日に噴煙が高度 3.5 km に達し、東に 216 km まで広がった事が観測された。熱異常も28日まで観測され、航空カラーコードは「オレンジ」

Piton de la Fournaise  | Reunion Island  | 233020 |  2632 m
2月19日に標高 1,800 m の地点で開口した割れ目噴火口は27日から3月5日まで継続している。溶岩流の先端は22-28日まで行く理と進み、標高1,200 m の地点まで 300 m 前進している。火砕丘から始まった新しい溶岩流は北東に進み、南側の溶岩流は3月1日までは殆ど進んでいない。5日に実施された現地での観測では、その基盤での直径は 100 m, 高さは 25 m,火口は幅 50 m で開口している。高温の火山ガスが放出され、ストロンボリ式噴火活動では噴石を放出している。火砕丘の麓から白い水蒸気が上がっており、溶岩チューブの存在が想定される。北側の溶岩流は依然として活発。

Ongoing Activity
桜島:Aira  | Kyushu (Japan)  | 282080 | 1117 m
南岳火口での火映は時折観測され、4回の噴火と7回の爆発が発生し、噴煙は 2.3 km 上昇し、噴石は火口から 1.1 km の地点まで放出された。警戒レベルは“5”段階の“3”


Dukono  | Halmahera (Indonesia)  | 268010 |  1229 m
火山灰を含む噴煙が高度 2.1-2.4 km に達し様々な方角に拡散した。28日に二本の噴煙が火口から立ち昇るのが観測されている。警戒レベルは“1-4”段階の“2”

Ebeko  | Paramushir Island   | 290380 |  1103 m
火山灰を含む噴煙が高度 2.5 km に達し降灰も観測されました。航空カラーコードは「オレンジ」

Ibu  | Halmahera (Indonesia)  | 268030 | 1325 m
28日に噴煙が高度 2.1 km に達した。警戒レベルは“1-4”段階の“2”

Karangetang  | Siau Island (Indonesia)  | 267020 | Elevation 1797 m
溶岩流の噴出量は比較的低レベルで推移。白煙は火口縁の上空 500 m に達する程度。27日にパイロットからの報告で高度 1.8 km に達した事が報告された。警戒レベルは“1-4”段階の“3”

Manam  | Papua New Guinea  | 251020 | Elevation 1807 m
3月1日と5日に、火山灰を含む噴煙が高度 3 km に達し主に東の方向に広がった。

Merapi  | Central Java  | 263250 |  2910 m
溶岩ドームの容積とその形状は前回観測から変化せず、新しく噴出してきた溶岩は南東側山腹の峡谷に落下している。火山灰を伴う岩屑雪崩は 600-1,100 m 程度、2日には10本の火砕流が 2 km 流れ下った。警戒レベルは“1-4”段階の“2”

Nevados de Chillan  | Chile  | 357070 | Elevation 3180 m
3月1日の夜に爆発的噴火が発生。爆発に伴い、溶岩ドームの一部が破壊されたようで高温の物質が火口周辺に降り注いだ。航空カラーコードは「オレンジ」

Santa Maria  | Guatemala  | 342030 | Elevation 3745 m
3月1-5日の間に少なくとも毎時4回の爆発が続き、 500-700 m 上空まで噴煙が上昇した。岩屑雪崩は溶岩ドームの東側と南東側を下った。4日夜の爆発では、半径 10 km 以内で爆発音が聞こえた。噴石は 100 m 吹き上げられ周辺に降灰をもたらし岩屑雪崩を生じた。

Sheveluch  | Central Kamchatka |  300270 |  3283 m
時折火山灰が混じる強い火山ガスと水蒸気の噴出が2月中は高度 4-5 km に達し 100 km 程度広がった。航空カラーコードは「オレンジ」


諏訪之瀬島  | Ryukyu Islands (Japan)  | 282030 | 796 m
22日から3月1日までの間火口での火映が観測された。小さな噴火は時折観測され、噴煙を生じ、時には火口縁の上空 900 m に達した。警戒レベルは“5”段階の“2”



Turrialba  | Costa Rica  | 345070 |  3340 m
28日の噴火では噴煙が火口縁の上空 500 m に達した。この日は他にも噴火が観測され、3月1日早朝の噴火では噴煙は 200 m 上昇した。3月2-4日には定常的な噴気が 200- 300 m 上昇するのが観測された。

以上

2019年3月7日木曜日

南房総(嶺岡産)蛇紋岩に刻まれた石造物(2/2)

昨日に引き続き、蛇紋岩製の石造物の画像をご紹介します。説明は鴨川市教育委員会が添付した説明の一部を抜粋してご紹介しています。凝灰岩に比べて細かな文字が残り易いので、古い造立年代が確認され易く石工の系統や、移動を考えるには貴重なものなのですが、存在が殆ど南房総に限られるので千葉の北部に住む私には遠い存在です。

前面のみを平面に加工し、上下二段に各三体の地蔵尊を、龕(がん)を掘りくぼめた中に表現されています。上段左右の二体は二重円光とし、他は舟形光背です。
造立趣旨と紀年が読めないと思いますが最上部に書かれており、永禄二年(1559)に造立された事が判り貴重な庚申塔である事が判ります。六地蔵の持ち物も近世のものとは
異なる様で、判然としませんが下段右より宝珠・錫杖・念珠・鏡鈸(にょうばち?)・上段は宝珠・施無畏印(せむいいん)合掌、経箱?の様に見えます。

右手に小振りの錫杖を斜めに持ち“U”字形にはだけた胸前に置いた左手に宝珠を持つ地蔵菩薩が表現されています。後から刻まれたと思われる光背も裏面に陽刻されており、15~16世紀の制作と考えられています。

地蔵菩薩

馬頭観音:彩色 おっと、これは蛇紋岩では無く砂岩ですね。「安房の三名工」と言われた中の一人「武田石翁」の刻銘があります。砂岩の産地は彩色の為に確定していませんが、南房総には細粒部の鎌倉石に似た岩相の凝灰質砂岩を用いたらしい五輪塔や宝篋印塔も現存します。

役行者 これも砂岩ですね。蛇紋岩は細かな細工にはやや不向きだった様です。

馬頭観音 江戸時代の作と思われますがこれほど大きなものは極めて稀です。大きさ感が表現できずに申し訳ない。蛇紋岩です。

六地蔵彫像板碑 正面に四体、左右に一体ずつ地蔵菩薩像が彫られており、このような配置は極めて珍しいものですが、残念ながら紀年は確認されていません。類似品の存在から応永~永享期のものと想定されています。左手にガラスケースの反射が写り込んでいます。石造品の欠陥では有りません。

2019年3月6日水曜日

南房総(嶺岡産)蛇紋岩に刻まれた石造物(1/2)

先日の南房総市和田町での石切り場調査で訪ねた石切り場跡等でかなり沢山の蛇紋岩を用いた墓標や供養塔を観察する機会が在りました。手元に2013年に鴨川市教育委員会が開催した蛇紋岩に刻まれた御仏たちの展示会の際に撮影したものが有るので併せて二回に分けてご紹介します。
頭部が欠けてしまい、茶褐色に風化色を呈していますが実は蛇紋岩としては未だ結晶等がハッキリ観察されるフレッシュなものです。単斜輝石や斜方輝石の結晶が表面で光っています。

やや青い色合いが残っているので「蛇紋岩」らしい、と思われるかもしれませんが、風化してしまった蛇紋岩です。嶺岡付近ではやや珍しい存在で、殆ど最初の画像に示したような風化色になります。

元禄九子年(1696)の墓標です。

一般的な姿とは異なる狛犬の一対です。江戸時代後期に地元の石工によって製作されたものと思われます。常識にとらわれない素朴な表現から独特のユーモアとおおらかさが伝わってきます。



倶利伽羅龍王像です。

石祠型の塔身に三尊像を刻んでいますが、像容が別の永禄二年(1559)年の六地蔵(今回画像無)に似ているので、16世紀半ばの造立例として貴重です。

続く