2019年2月2日土曜日

“NASA Earth Observatory”に久し振りにエトナ火山の衛星画像が掲載際されましたので御案内します。

画像は本来2枚なのですが、2枚目の画像データが“6049 x 9259 pixels , 13.9MB”と大きいので、二枚目の画像を火口付近をトリミングしたものと、ほぼ全体を圧縮した噴煙画像の二つに分割してご案内します。画像の説明は以下の通り。
エトナ山は、2018年12月24日に、ほぼ10年振りに山腹から「側噴火」を起しました。噴火活動は 3 時間にわたって続き、その間に130回の地震を伴いました。ヨーロッパで最も活発な火山であるエトナ山は、2013年以来、火山のこの領域で定期的に火山活動山を行って来ました。“Landsat 8”の“Operational Land Imager(OLI)”は、2018年12月28日にエトナ山の山頂付近での活動状況に関する画像を撮影しました。2番目の画像は、活動中の火口と溶岩流からの熱赤外線信号を強調して赤く表示しています。割れ目火口から噴出した火山灰が隣接する村を覆い隠し、航空機が近くのカターニア空港に着陸するのを阻害しました。ニュース報道によると、最初の噴火の後の数日間に地震が発生し、何百人もの人々が自宅から避難しました。4枚目の画像は、イタリアのライブカメラから昨晩キャプチャーしておいたエトナ火山の噴煙です。
Image courtesy of “NASA Earth Observatory”
https://earthobservatory.nasa.gov/…/etna-awakens-on-its-side


オリジナル画像そのままの自然色画像

熱画像を赤で表示している擬似画像です。噴火口と溶岩流の位置が良く判ります。オリジナル画像のデータサイズが大きいので一部をトリミングしています。

これも二番目と同じ原画のほぼ全体を圧縮して表示させています。

2月1日夜にイタリアのライブカメラからキャプチャーした噴煙画像です。

幸屋火砕流中軽石の観察例

先日の“Volcano Cafe”の際に、相原さんから屋久島で採集された「幸屋火砕流堆積物」を頂戴したので、実体顕微鏡で観察した際の観察画像を御案内します。尚、幸屋火砕流に付いては、巡検案内者のお一人で産総研の研究者である「下司信夫」さんが地学雑誌に下記の論文を投稿されていますのでご覧頂ければと思います。「屋久島を覆った約 7300 年前の幸屋火砕流堆積物の流動・堆積機構」 地学雑誌 2009 118(6) P1254-1260 下司信夫氏
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/118/6/118_6_1254/_pdf
巡検ガイドは下記で検索すればJstageでDL出来ますが、関係個所は3枚目の画像に引用していますので敢て必要は無いと思います。「世界遺産の島・屋久島の地質と成り立ち」地質学雑誌_120_2014.0026_P101-125。観察の機会を頂いた相原先生にお礼申し上げます。

相原先生から頂いたサンプルの状態です。しっかりラベルが造られています。隣の空き瓶は洗浄に何時も使っている道具です。

洗浄用の容器に入れると量的にはこの程度です。

地質学雑誌に掲載された巡検ガイド「世界遺産の島・屋久島の地質と成り立ち」から抜粋引用させて頂いた幸屋火砕流の堆積露頭画像とその説明部分です。地質学雑誌_120_2014.0026_P101-125

軽石は凹凸が大きいので、全面に焦点を合わせる事は至難の業ですが、たまたま、平らな断面形状を示したものが有りました。

これは画像の幅が 2.5 mm 程度。軽石気泡の細管がほぼ整然と並んでいます。背景の中の黒い筋が実は0.5mmの目盛板です。

画像の横幅は約 6.0 mm 程度。気泡が真っ直ぐではありません。

長石類の斑晶が綺麗ですね。気泡の細管は実に細く、変形しています。背景の目盛は 1mm と0.5mm の補助目盛です。

前画像の軽石の一部を拡大して撮影してみました。

気泡の細管がぶった切られています。衝突して破壊と接着が繰り返されながら固まっていくのでしょうか?

薄い小さなガラス片が観察されます。背景の黒い線は 0.5 mm の目盛板です。

気泡が幾つも合体した上で球状部が破損し、その接触部だけが残ったのでしょう。背景の黒い線は 0.5 mm の目盛板です

少しピンボケで申し訳ないのですが形状は面白いですね。

2019年2月1日金曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (7)

石切り場は、地域によってその状況が大きく異なるので、その石切り場に行く時は少しドキドキします。伊豆の下田の時は、案内者の方が大きな鉈とこれまた強力な懐中電灯を持っておられて、途中の藪の深さと、まさか地中採掘とは知らなかったので驚きました。
此処は、山腹に露頭が在るらしい事は判っていましたが、前の日に秋間石の探索で防寒着が破れたりしていたので「野茨」だけは勘弁してほしいと思っていました。
車を林道の入口に止め、暫く人が入って居なさそうな荒れた道を、取り敢えず路が有るから兎に角、登れるところまで行こうと歩きだしました。我々は、危険な場所は二人で行動しますが、それ以外は、お互いの観察の個性が在るので別々の歩きをします。特に主任研を究員は薄片が造れるような新鮮で、館での展示に堪える大きさの岩石のサンプリングが必用ですし、私は画像記録が中心でサンプリングはごく小さなものを最小限度の数で済ませようとします。でも、行動途中で必ず情報交換をしっかり行い、重要なものは必ず二人とも抜けが無いように観察する様に心がけています。
牛伏砂岩の石切り場は、最終的にはブルトーザーやパワーショベル等の重機が入っていましたので、急傾斜でしたが道幅は充分に在り比較的安全でした。

入口から少し入った処に「削孔」により割った大きな石材が残置されていました。ハンマーがスケールです。大体、その後も見掛けるのは似た様なサイズのものが多かった様です。

トラックなどはとても走れる傾斜では無いので、ブルやショベルが起伏を平均化する為にこの様に大きく地山を削り込んだ場所もあります。

途中にも、道路の拡幅部にこの様に石材を残置しています。

上の方に置いている石材は、かなり大きなものもあります。石材の左手に車のタイヤが在ります。大きさはお判り頂けると思います。

我々が見慣れた手掘りの石切り場では無いので崖の面も広いですね。この崖の面には、機械の痕跡が無いので節理面かも知れません。

崖の露頭は、樹冠を越えた高さの場所も有ります。でもここは、足場が悪くて崖面には取り付けませんでした。

この場所が、私が登った一番高い場所の露頭です。ブルの道は続いていましたがかなり荒れて来たので無理をする事は辞めました。

採石跡にはこのように砂岩の堆積模様が明瞭に観察できる場所もありました。

転石に観察した、砂岩の断面です。手持ちの近接撮影なので、細かな処は写って居ません。明日は博物館で仲間達との例会なのでここで三脚を据えてしっかり細部を撮影する予定です。明日は、みんなで「火山キットカット」を食べようと思っています。

ハンマーで割った面を拡大してみています。さて、何か面白いものが見えているでしょうか?

2019年1月31日木曜日

マイナーな領域の趣味:溶岩中のガス抜け穴の事。

今日は勤務が昼からだったので国立公文書館で開催中の「温泉 ~江戸の湯めぐり~」を観に行ったのだが、竹橋に久し振りに行くのでもう一つ久し振りに再会してきたものが有る。画像は、国立近代美術館の前庭に在る「土産物屋」さんの壁面にあるガス抜け穴である。それも、奥の階段の途中の手すりで「入るなよ」とされている側に、妙にこのガス抜け穴があすのです。趣味をマイナーだとは思わないが、その趣味の向かう領域がマイナーだと意識している。最初は、主として安山岩や玄武岩や砂岩や凝灰岩の岩石の種類を見定める為に、表面に現れた割目や加工痕に注目していたのだが、もう10年以上前にある場所で溶岩流の中のガス抜け穴に出会って以来、新鮮な溶岩の破面を見る機会があれば、こんなものを探している。スケールを置く事はしなかったが、大きなものから順次小さな領域へと画像を並べて見た。ガス抜け穴の中には、実は別の世界が広がっているのです。この場所は特にガス抜け穴の「穴場」なのです。

機械屋としていろんなものを「破断」してきたからこのような新鮮な破断面を見るのが殊の外興味深いのです

使われている石材は矢穴が一ヶ所しか残っていない程度に小さな間知石の様な雰囲気を出しているが、実は厚みが5-6cm程度の板状に加工されている様です。

此れは間知石のサイズに対してかなり大きい方のガス抜け穴

前図のガス抜け穴の拡大



穴の中に小粒の溶岩の滴の様なものが観察される

此れは細くて、穴の直径は 5 mm 以下

前の画像の先端部分の接写。粒状のものが沢山詰まっている。

2019年1月29日火曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (6)

多胡石は別名牛伏砂岩と云う名称から、牛伏山に行けば砂岩の露頭が在るかもしれないと考え手向かう途中に「住吉神社」が在りましたので、地産地消の砂岩が使われているだろうと立ち寄ってみました。境内の殆どの石材は、勿論、石巻の稲井石の石碑もありますが、殆どは多胡石と考えて良さそうです。しかも、境内の一隅に建てられた「住吉神社資料館」の表は模様が美しい多胡石で飾られています。また、神社の裏手の大沢川は砂岩の露頭で美しい渓谷となり、下流側は河床が洗われている滑川となっています。大沢川と西の天引川の間が、この砂岩の主要産地の様です。





最初の三枚はその住吉神社資料館の壁面に使われた多胡石の景色です。

燈籠の新しいものは昭和八年と九年のものが有ります。私より一回り年上です。エッジはしっかりしているので、素地の硬さは十分の様です。

燈籠の古い方では、天明二(1782)年九月銘のものと享和二壬戌(1801)三月のものが有ります。図は天明二年のものです。

神社の下流側の大沢川河床です。凹凸で大体の走向は判りますね。

上流側も下流側も大きく抉られています。水流による岩石の浸食形態は面白いですね。神社の裏が一番狭い渓谷になっています。

対岸を観ていると所々に花崗岩や安山岩を切出す時に用いる矢穴の様な、長四角の穴が観察されます。水道の様に自然に出来たものにしては不自然ですからこの場所でも採石をしていたのかもしれません。不動明王が祀られています。

神社の道路向かいに「舟石」があります。厚い部分は優に2mを超す大石です。「多胡碑」にも刻まれた「羊大夫」に纏わる悲しい物語が残されている様です。この付近は梅林で、所々に築かれた石垣は殆ど砂岩を使っています。

鳥居と、鳥居に掲げられた神社額は砂岩で造られています。鳥居の建立時期は不詳ですが、神社額の後ろには「平成九年八月改修」の銘が刻まれていました。まだ、多胡石が採掘されている時期です。

2019年1月28日月曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (5)

多胡碑の在る公園で植木職の方に多胡石に関する情報が無いかお聞きした処、石切り場の大体の位置や街中で観察出来る多胡石を使った建物や石材屋さんの情報を御教示頂きましたので、石切り場を訪ねる前に、吉井駅近くの「吉井町商工会館」の壁面を観察し、多胡石を扱った事の有るらしい石屋さんを訪ねました。尚、多胡石に関しては「高崎検定講座 多胡石の美と歴史」や「群馬県高崎市吉井南方に分布する中新統牛伏層の地質学的考察」を検索して頂ければ資料が閲覧できます。

「吉井町商工会館」エントランスを飾る「多胡石」です。24mm程度の厚さの板状に切り出し表面を磨いたものですが、風化で少し細かな砂粒サイズの凹凸が出来ています。左右や上下軸で対照に石材を貼り付ける例が多いようです。









この砂岩は地色が少し違いますが、これは別の場所:石材屋さんで観察したものです。含まれる鉱物に少し違いがあるのかもしれません。
また、酸化していない採掘直後は淡青色なのだそうです。

多胡石の用途は、建物などの装飾用以外に、この様に「洗い場」にも使われていた様です。商工会館近くの小さな石置場に在ったものです。。勿論、手仕事の加工でノミ跡が残っています。

石臼が有りましたが、これは多胡石ではありません。恐らく武蔵五日市付近で採掘されていた、白い斜長石の結晶が目立つ凝灰質砂岩の「伊奈石」だと思われます。この石材にそっくりな石材は房総半島の南部。嶺岡にも産出します。五日市から流通して来たものか、この付近に産出地が有るのか興味深い所です。

この石材が一番多く使われたのは、恐らく礎石ではないかと思われますが、その次に多いのがこのような燈籠だろうと思われます。縞模様の少ない所が未だ山中にブロックで保存されていてこれを利用して現在も製作を続けておられる業者さんがありました。私の背より遥かに高い大きなものです。