2011年5月20日金曜日

房州石・古墳(O-4)野毛大塚古墳:回り道;多摩川流域の地質

多摩川の地質を紹介するHPは意外と多い。
まずは大石さんの「東京周辺の地学観察スポット」。等々力渓谷・生田緑地・宿河原・国分寺崖線等。テフラがご専門なのだが武蔵野礫層の記述も忘れない。都立長沼公園など東京西部の地質案内が多数。長沼公園には上総層群の露頭が有り、「生痕化石」だって観察出来る。以前からこの附近の巡検をやりましょうとお誘いを受けていたが実現していない。調布駅地下化のトンネル現場にはご案内した。
http://ooisivolcano.cool.ne.jp/excursion.htm
場所柄、東京都市大学(旧武蔵工業大学)の萩谷准教授のhpにもこの附近の案内は多い。ゼミの現場実習。等々力渓谷の地質は下記。「武蔵野台地を歩く」の第2回
http://www.h-hagiya.com/geo/02fw02.htm
宿河原 武蔵野台地の基盤の観察。これも「武蔵野台地を歩く」の第三回目。貝化石を含む上総層群砂岩層だ。なにも、房総半島まで出掛けなくても、直ぐ近くに砂岩は存在するのです。チト柔らかいかな?
http://www.h-hagiya.com/geo/02fw03f.htm
宿河原に関しては下記も萩谷さんのHP
http://homepage2.nifty.com/hagiya/junken/todorok3.htm
http://homepage2.nifty.com/hagiya/junken/todorok5.htm
また、別の空想の大学講義の化石講座では露頭情報も掲載されている。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/8946/fossilogy3.html
東京都狛江市の多摩川・宿河原堰堤付近の上総層群飯室層
此方は多摩川を歩く時に便利なトイレ情報も含まれている。
http://tamanature.web.fc2.com/index.html
その中で、多摩川中流域で見る事の出来る「砂礫洲」の情報がある。スケールが無いがかなり大きな礫もかなり簡単に手に入りそう。
http://tamanature.web.fc2.com/isinokawa.html
下記は東京地質調査業協会作成の技術ノートNo_31 「東京の公園」34頁もあるが、9頁には多摩丘陵西部の地質断面図等もあり、東京以外の方が大まかな東京西部の地質環境をチェックするには適当かな?と思いご案内する。
http://www.kanto-geo.or.jp/tokyo_note/No31.pdf
明日21日は早朝から日光の東大植物園と上三依の水生植物園を散策に出掛けるので多分UP出来ない。
日・月は幕張で開催される「地球惑星科学連合大会」の無料のパブリックセッションを覗きに行く積りなので同様にUP出来ないかもかもしれない。スンマセン!
尚、少々入手が難しいけれど地団研から「河原の石のしらべ方 多摩川の石」と言う小冊子が発行されている。価格は700円だろうと思うがA5版80頁。上流の地質を反映した岩石の種類が興味深い書籍。他にも、河原の礫については図鑑が発行されているので、多摩川も含まれて居た様に思う。

2011年5月19日木曜日

房州石・古墳(O-3)野毛大塚古墳:回り道;多摩川流域の地質

野毛大塚古墳に行って見ようと思い、古墳の位置を調べ始めて現地に行き、次に世田谷区立郷土資料館を見学に行きながら、偶々これまでこの2つの場所には縁が無かったけれど、実は自分にとって或る意味非常に身近な場所にこの古墳と資料館がが存在していた事に気付き唖然とした。豪徳寺も野毛ももっとゆっくりと歩いてみたかったが、既に親しかった友人は居られないので諦めた。
それに、この附近の地下も随分と様々に土質資料を検討し、シールドトンネルの補助工法を提案し採用して頂き、実施工の時に立ち会って居た。
特に、宿河原ではシールドの補助工法が旨く行ったけれど苦労をさせられていた。巨大な円礫がさして深くは無い地下に大量に存在して掘進は困難を極めていた。
そんな、大礫が存在する地層を流れる多摩川に何故、東京湾の対岸とは言え、遥々千葉県から強度に書ける穴だらけの泥岩を搬入しなければならなかったのか?疑問が次々に湧き上がってきた。
尤も、利根川流域でも、行田や玉村附近の円礫の量は半端なものではなく、シールドマシンを掘削不能な状態に陥らせる事が出来るほどに凄まじい。トンネル掘削時の土質資料は、定年退職時に破棄しているので手元には無い。それでは、地質系のHPの中から、幾つかの画像豊かなHPをご案内してみよう、というのがこの「野毛大塚古墳」での目標とした。

2011年5月18日水曜日

房州石・古墳(O-2)野毛大塚古墳:回り道;多摩川流域の地質

古墳と房州石・富津磯石の話の中に突然見た事も無い様な図面が出て来て戸惑われる方も居られるだろうが、この「野毛大塚古墳」や川崎市の「馬絹古墳」で使われている石材に触れる前に、多少回り道でも多摩川流域の地質に触れておくべきではないかと考えた。勿論、多摩川地域の地質について語れるほどの知識は持ち合わせていないので、参考資料を掘り出して行こうという作戦。
まずその出だしに地下で下水・上水・道路・ガス・電気・通信・地下鉄等の管路工事に使用される「シールドマシン」の図面を登場させる事にした次第。これは調布で鉄道の地下化工事の為に使われたシールドマシンの構造断面図。直径Φ6.85m。この機械の特徴の一つが、図中で斜めに傾いて取り付けられて居る緑色の「スクリュコンベア」と書かれた部分。掘った土砂をこの円筒の中で巨大なネジ:スクリウが回って構内に取り出す装置。実は真ん中に軸が無く大きな礫を取り出す事が出来る特殊品。“O-1”で述べた様に、この附近には大きな砂岩礫が出る地層が有る話から入ろう。詳細は次回から!

2011年5月16日月曜日

房州石・古墳(O-1)野毛大塚古墳:房州石は使われてない


この「野毛大塚古墳」は東京都世田谷区の等々力渓谷から程近い場所に鎮座している。
さきたま古墳群の展示の中に生痕化石(孔)のある「房州石」(⇒このブログではこの泥岩に対して「房州石」の呼称を用いるのは不適正であり、富津地域等の地元で用いられている「富津磯石」等の呼称を使用すべきだと考えて居る)が使われているとされる関東近辺の古墳のリストが在るが、その31/33番目に掲載されている古墳。
リスト記載の31番目(33番目は観察していないので省くが)のこの「野毛大塚古墳」や32番目の多摩川右岸の「馬絹古墳」は水系が異なるので、富津磯石も使われて居ないと考えたが念の為観察に訪れた。
東京都教育委員会が作成した説明板によれば帆立貝式の前方後円墳で「三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段にめぐらされている。 後円部頂上には四基の埋葬施設があり、中央に粘土に包まれた割竹形木棺、南東側には箱式石棺。北西側には二基の箱形木棺が収められている。」・・中略・・「野毛大塚古墳は関東地方の中期古墳文化を代表する五世紀前半に築造された古墳である。出土した多量の武器・武具類や石製模造品は、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることを示している。」と書かれている(H5建設)
古墳は、画像に示した通り、H01-04年の発掘調査後に葺石と合成樹脂製の埴輪で「再現」されている。葺石に「河原石」を用いながら、敢えて強度の低い泥岩を運び込む必要は無いと考える。尚、等々力渓谷に露出する岩石は公園整備の目的で外部から搬入した可能性もあるが、上流の調布附近の京王線地下化工事の際には人頭大の硬い砂岩が多数出現しており、等々力渓谷でも同様の砂岩が採掘出来た可能性は高いと考える。

2011年5月15日日曜日

房州石・古墳(N-14) 不動岩:富津磯石の故郷へ

不動岩附近の画像はこれで一区切り、地質的には興味深い画像がもう少しありますが、先に進む事にしましょう。何の変哲も無い波の画像?ですが、垂直に近く切立つ地層に較べて、波の下では海底は地層の傾きほどには急傾斜ではなく、かなり先まで砂泥互層の部分は浅い状態が続いています。この日は、潮の満ち干を確めずに来ましたが、干潮の時には波頭が砕けるこの部分も歩いて行けるほどに浅く、岩塊を採集するには余り苦労する事も(岩塊の重量は大変でしょうが)無かったのではないかと想像しています。
明日からは、水系が異なるので疑問符が大きいのですが、多摩川の両岸に存在する世田谷区の等々力渓谷に近い「野毛大塚古墳」と、川崎市の「馬絹古墳」と関連施設を歩いた時の記録を少しだけご案内します。
「さきたま古墳群」の展示資料に、「生痕化石のある泥岩を古墳の石室に使用した例」として31.32番目に上げられている古墳です。
石室の資料が公開されているならば見てみようと考えた次第。