2017年6月30日金曜日

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (13)

五輪塔に使われた天神山の凝灰岩
 群馬県みどり市笠懸町の天神山で採集した凝灰岩の火山ガラスを顕微鏡を介して撮影したのでご紹介します。

最初の画像は顕微鏡で観察した凝灰岩の外観で、左上の変形五画形が、各地で五輪塔に使われている少し粗粒の凝灰岩。右上の水滴型の三個の方は、細粒ながら泥岩と同じように微細な隙間があるので、舐めると舌にくっつきます。薄片は造らずに小型の切断機で切断面が平行になるように、粗粒のものは厚みが5~6 mm になるように、細粒の方は小さいので6~8 mm になるように切断し、#800でサット研磨し、超音波洗浄を行いました。
 偏光顕微鏡にアダプターを介して“SONY α55”を取り付け、顕微鏡の微動ダイヤルでピントを調整しました。勿論、偏光顕微鏡は、単にカメラを取り付ける為に使用したので、手持ちLEDライトの反射光で撮影しています。
以下のの三枚は粗粒のものを撮影しており、画像の横幅が 4 mm





接眼レンズを変え画像の横幅が 1.5 mm になるようにトリミングしています。以下の2枚は粗粒の凝灰岩のもの。火山ガラスの曲面が良く判ります。



以下のの2枚は細粒のものです。細粒の火山ガラス細片の中にやや大きな火山ガラスが入っているのが判ります。



千葉の五輪塔に使われている凝灰岩は、質感がこの細粒のものに似ています。
千葉以外の五輪塔は粗粒のものに似ています。もし、千葉の五輪塔の素材が天神山の凝灰岩で有ったとすれば、何故、此処だけに細粒のものが使われたのか?疑問が残ります。粗い方なら太田市の寺院での撮影で貝殻状の火山ガラスを明瞭に観察出来ましたが、細粒の凝灰岩では、現場での接写ではかなり条件が難しくなります。千葉の例では火輪にたまたま、破断面があるのでなんとか、近い内に再訪して接写に挑戦してみようと考えています。

2017年6月25日日曜日

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (12)

 五輪塔や板碑が建立されている場所で常に観察出来るとは限らないのは言うまでもない事なのだが、一年程度等と云うごく短い期間中に使用石材産地を見極めたい等と云う短兵急な調査中に、数年に一回等とある限られた日時だけに公開される事例にぶつかると、それが先行研究の事例の中でも特に重要な物の場合には、殆ど頭の中が真っ白になってしまう。この事例も、実はそうした一つで、本来ならば一年後の公開日まで待つしかないのだが、特例として職員立会いで柵の外からの撮影が許された。













 二重の柵に阻まれて正面からの全体像は撮影出来なかったが、私のカメラはファインダーがかなり自由に角度調整が出来るので、自分の立ち位置から見えない部分も手でカメラを支えて居られる範囲内であればなんとかファインダーを確認して目的を達せられるので撮影させて頂いた。五輪塔の詳細は省くがご配慮を頂き貴重な資料を手に入れる事が出来た。感謝!!





感謝!多少、ピンボケもあるが、狙っていなかった場所に重要な手がかりが存在したので御容赦願いたい。薬研彫りの種子が美しかった。

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (11) 正福寺の五輪塔

 伊勢崎市・みどり市・太田市等には流石に天神山や旧新里町の石山等を筆頭に凝灰岩質石材産地が広く分布するので、白い凝灰岩を用いた五輪塔の数が多い。そうそう度々来れるものでは無いからと、欲張って沢山の露頭や、寺院の五輪塔や多層塔を観察させて頂いたのだが、この正福寺には「伝新田氏累代の墓」とされる凝灰岩製のものだけでも二十点を越えるのだが、特徴を捉えたいと撮影をする内に、どうやら全てが天神山の凝灰岩では無いらしい事に気付いてしまった。
 最初は「天神山産の細粒緻密な白色凝灰岩」の中で、どの程度の岩質のばらつきが在るのかを見る積りだったのだが、その観察眼を養う前に他の産地の凝灰岩を見分けなければならない事になってしまった。折角撮影した画像の大部分を、「異質」なものと「ばらつき」の正確な把握の為に取敢えず御蔵にするしかない残念な事になってしまった。
覆屋の中の五輪塔や多層塔の状況。手前は比較的新しい安山岩製

新田義貞氏の祖父新田基氏の法名が記された五輪塔







上下がややアンバランスだが、比較的緻密な石材が使われている多層塔



「天神山産」とは異なると思われる組織や岩片の例



伊豆で凝灰岩を調査した際は、地元の文化財の方や、石灰質凝灰岩に造詣の深い方の御指導を頂けたので比較的調査が順調に推移したが、今回はかなり大変な作業になってしまった