2021年4月17日土曜日

凝灰岩質石材の旅:No.122084-01:野田市の伊豆石と黒板塀に岩舟石も (1/2)

 所在地:野田市上花輪507:季節開館有料公開施設

詳細は下記サイトをご確認下さい。

http://kamihanawa.jp/

国土地理院地図座標:35.939582,139.858017

東武野田線野田市駅から徒歩:約 1.5 km

越谷市から、黒板塀繋がりで野田市に飛ばせて頂く。野田市はご存知の通り、利根川・江戸川と利根運河に囲まれて舟運に恵まれ、醤油の醸造業が盛んになった場所。その醤油醸造業者の一つに寛文元(1661)年に醸造業を始めた高梨家があります。現在は「高梨家庭園」或いは「花輪歴史館」として季節を限って公開している施設だが屋敷はもともとは醸造工場を併設していた関係上広大で、材料や商品の輸送に用いた構堀が残され、工場で用いられた伊豆の軟石や、栃木県の岩舟石が多数残されている。

東武線の野田市駅から愛宕駅付近の地図でやや大きな赤丸がこの高梨家庭園:上花輪歴史館の位置。緑の丸はこの付近で石材を観察し、観察記録を残した場所。
野田市は利根川と江戸川に挟まれた細長い土地で16号が中央付近を走り抜けているので交通の便も良くフィールドワークに適した地域なので、これませに50ヵ所で石材観察記録を作成する事が出来た稀に見るばしょです。一つの市町村で50ヵ所を越える観察例が在るのは、これまでに岩舟石の産地が有る栃木市と広大化した船橋市くらいだろう。
上花輪歴史館は石材だけなら内部の観覧を外して外周だけでも十分に楽しめる場所です。黄緑色で線を引いた部分が私のおすすめの観察場所。屋敷の北側の黒板塀と石垣部分に東側。それに少し離れた場所は大型石材が置かれている場所輪で囲んだのは今は内部見学は出来ないが、キッコーマンの煉瓦蔵。ここは遠望だけで・・・
北側の黒板塀を北東端の角付近から眺めた画像です。板塀の下の低い石垣は数種類の石材が混在するのだが、安山岩以外は伊豆の角礫を含む緑色凝灰岩で熱水変成作用を受けた
いわゆる「湯ヶ島層群」の石材らしく、凝灰岩と云うにはやや硬いもので、専ら石垣用の間知石として加工されたものが多く使われています。石垣の一番上の「笠石」は
須崎付近から伊豆の東岸に分布する石灰質の砂岩。緑色凝灰岩の中には角礫を含まないけれど化石を含むものも有り。ここでもその原型はわからないけれど化石らしいものや、沸石族も観察される。湯ヶ島層群は、以前修善寺の少し上流の猫越川の河床で観たものには二枚貝の化石が含まれていました。
石垣は西側に行くに従い坂を下るので高く積み上げられている。この画像が一番高い部分だろうか、笠石は安山岩に変わり角石も安山岩が用いられている。この付近の屋敷内には
構堀が来ているが屋敷の外ではその痕跡も見えない。
角礫を含む緑色凝灰岩も色合いは様々。スケールを置いた間知石の上段の右隣は礫が無くて化石が観察される。間知石は恐らく運搬の都合だと思うが現在花崗岩で作られるようなものよりは一回り小さい。
化石の観察出来る間知石の右隣の白い筋が見えるのは、沸石脈らしいものが見える。石英脈かと思ったのだけれど、恐らく沸石だと思う。
沸石脈らしいものの拡大図。でしょ?
石垣の一番上の部分には、北西側の構堀に近い部分は安山岩ですが、それ以外は石灰質の生物遺骸が豊富に含まれていてしっかりと硬い石灰質砂岩が使われています。

石灰質砂岩は御屋敷の外の、二枚目の地図で道路脇に黄緑の線が引かれた処に大量に保存されています。ここに置かれた石材は通常の切り石の大きさと異なり、30 x 35 x 80cm = 84,000 立方cm、約三才(切)の大きさがあり、推定重量は185 kg です。大型機械の礎石か建物の重要な部分の礎石として使われたものと思われます。
同じ石材はもともと工場も併設されていた御屋敷の中でも観察する機会があります。適度に汚れていてくれるので、堆積時の海流(波)で形成されたラミナ:堆積模様が美しく観察されます。