2015年2月20日金曜日

佐島石:芦名城跡の露頭


地元の方々が芦名城跡と呼んでいる場所には直立した岩壁が高く聳えていて、確かに城跡と呼ばれる風格を持っている。築城の為に崖を造ったのか、この地形を利用して築造したのか、歴史の素人は判らないのだが、この周囲をぐるりと回ると、崖に一層だけピンクスコリアを含む層が存在した。佐島石の露頭では初めての事だ。実は、美崎町で小さな蔵に使われた佐島石の片隅にピンクの軽石が在るのを観て、露頭の状況を見たいものだと考えていた。
天気が良すぎて絞っても淡いピンクは中々旨く色が出ないものだ。

2015年2月17日火曜日

佐島石の丁場跡


昨年末から集中的に三浦半島を歩いています。その回数確か15回。私の住まいからは大体JRで品川まで移動し、その後は京急に乗り換える訳だが、片道2~2時間半掛かるのでこの往復の時間ロスがかなり痛いのだけれど、房総半島の歴史的石材を調べて居る以上は何れは三浦を集中的に調べなくてはと思っていたのだが、丁度良い切っ掛けに成る事が在って、2月一杯何とかあと数回は歩きたいと考えています。
最初は、歴史的背景が文献にある佐島石を選んだが、歴史的に古い方から行くと、大船・北鎌倉付近の鎌倉石が最古。神武寺付近の池子石がこれに続き、鷹取山が鎌倉や池子の石を圧倒していく、その頃に佐島石が採掘を始めている。恐らく昭和20年代まで続いたらしい事は、国土地理院の写真地図をチェックしていると良く判る。これ以外にも、三崎町や金田等にも採掘丁場が有ったらしいが金田は場所が判らない。三崎町には、例えば黒崎の鼻や浜諸磯に比較的規模の大きな採掘跡が残っている。
画像は、佐島隧道の東西に在る丁場跡。大正初期に発行された地質調査所からの「神奈川県産建築石材試験報文」にはこの場所では無い場所から採掘がなされて居た様に記載されているが、残念ながら地層的にその場所を特定出来ていない。