2011年4月23日土曜日

房州石・古墳(M-1) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

この附近の国道127号線には短いトンネルが二箇所ある。この画像は北側のトンネル附近。ここは景観的にも見事な砂泥互層が堆積し傾斜している。小さな浜も広がっているので、泥岩・砂岩の採石には不自由は無さそう。と言っても古墳時代とは地形が異なるだろう。

2011年4月22日金曜日

房州石・古墳(L-6)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

分厚いスコリア層を計って見た。上が何故か切れてしまっているが、少なくとも12cmは在りそうだ。
さて、この海岸での画像はこれで終り、明日からはもう少し鋸山へ近付きましょう!

2011年4月21日木曜日

房州石・古墳(L-5)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

此処でも、比較的柔らかい白色部分の上にはこの様に粗いスコリアを含んだ分厚い層が重なっている。海の向こうは観音岬方面だろう。

2011年4月20日水曜日

房州石・古墳(L-4)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

穿孔貝の生痕化石が残る礫が二つ。右側は穴が小さく貝殻が残っていない。左側はやや大きく貝殻も残っているし少し孔も深そう。貝の種類が異なるのか?背後の縦の縞模様も前の画像と同じ「バインストラクチャー」この附近はこれが大変に多い様だ。

2011年4月19日火曜日

房州石・古墳(L-3)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

穿孔貝も巣穴を掘り始めた時には適度の硬さの粘土質岩で住み心地が良かっただろうに、まさかその下に、荒々しいスコリア層が在るとは気が付かなかったらしい。でもそのもう少し下には色白の泥岩が広がっていたのでほっとした事だろう。スケールの左側に白い層が周りを茶色の層に囲まれて露出している。本来は下にはスコリアが在る筈なのに白い部分が出ているのは、或いは此処は火炎構造の様な荷重痕を平面的に見ているのかもしれない。バイン構造が在るのだから、全く否定も出来ない。

2011年4月18日月曜日

房州石・古墳(L-2)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

泥岩~砂岩の中に見えるこの縦筋は地震の化石。「バイン“vein structure”」生痕化石ばかりだけでなく、このような地震の化石まで見る事が出来るのは嬉しい。バイン構造は、堆積して間もない未固結状態での地震で出来る化石だとの事。。以前三浦半島で、アジア航測の千葉さんが簡単な実験をして見せて下さった事がある。日本地質学会からシリーズで発行された「フイルドジオロジー 5:付加体地質学」の66頁に同じ様な画像がある。画像“B”は富津市島戸倉で撮影されている。この附近かもう少し南の海岸らしい。
スコリアの粒径も中には10mm程度のものまであるのだから、火山からかなり近いのだろうな!と思うのだが、この火山は「幻の湘南火山帯」と言う奴で、現在は海底にも地表にもこの様な痕跡以外の存在を主張していないらしい。スケールは木製だが曲がっている訳ではない。接写をするとレンズのある領域ではこの様に曲がって写ってしまう。

2011年4月17日日曜日

房州石・古墳(L-1)海辺の湯_富津磯石の故郷へ

竹岡から浜金谷に向かう途中に日帰り温泉施設と広大な駐車場が在る。この造成地の周囲にも適当な砂泥互層が広がっている。ここの砂岩・泥岩は古墳のものと良く似ている。余り足場が良い訳では無いけれど、建物の裏側から海辺に降りる事が出来ない訳でもない。狭くて足元が良くないのでご注意を!駐車は出来るしチョイト気を抜いて休むのにも良い場所かも。
場所は 1/25000地形図で下記
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=351106&l=1394904