2013年8月10日土曜日

伊豆石丁場の見学 (6) 複雑に掘り込まれた天井

天井の一部を撮影したものだが、これまで私が観て来た丁場の場合は殆どが一定の方向に掘り進んで、敷地境界付近で採掘方向が変わるのが一般的だと思うのだが、この丁場ではいろんな方向にそれも本当に薄い垣根掘りで採掘を進めている。大きな亀裂があるのも原因なのだろうが、やはり地層の所々に挟まったガラス質の安山岩~流紋岩が採掘を阻んだ為なのだろうか?

2013年8月9日金曜日

伊豆石丁場の見学 (5) 壁面に見える堆積模様

スケールが無いが、同じ採石場内でも、この様に比較的大きな軽石が折り重なって堆積している部分も有る、凝灰岩は比較的似たような岩相が見える事が多いのだが、陸上堆積では無いので時々こんな事が起こる。まあ、自然界に均質と云う事は殆ど無いと思った方が良いのだろうが・・・

2013年8月8日木曜日

伊豆石丁場の見学 (4) 壁面

この程度の明るさだとなんとか壁面に現れた凝灰岩の堆積模様が見える。伊豆と房総半島の地層の繋がりを解明する貴重な資料だ。と思う。

何処かに書いたかもしれないが、大正時代に当時農商務省の所管だった地質調査所で県別に建築用石材の産地を調査し、その丁場名、産出額、搬出の為の利便性或はその材料強度などについて、調査し報告書が公表されている。例えば下記
1913年(大正二年)には
茨城県産花崗岩応用試験報文
福島県西白河他2郡産石材応用試験報文
千葉県産建築石材試験報文
神奈川県産建築石材試験報文
1914年(大正三年)には
静岡県産建築石材試験報文
栃木県産建築石材試験報文

この資料は、今は判らなくなってしまった石材丁場の大きな手掛かりになる貴重な資料だ。
千葉での古い採石丁場の調査も中々捗っていないが、伊豆半島でもこの資料を参考に丁場の存在確認を初めて下さると言う。
産業遺産として過去を懐かしむ為だけでは無く、人と自然の恵みの関係を辿る事は大切な作業だと思う。ただただ自然を在るがままに「保存」するだけでは意味が無い。

2013年8月7日水曜日

伊豆石丁場の見学 (3) ラミナ

石丁場の中での岩相の観察は、手掘りの時期のものは壁面にツルハシの切削痕が残る為、大きな画面での観察は中々大変です。切削痕に惑わされることがおおいのです。更に、凝灰岩の場合は苔・黴・地衣類が繁茂し易いのです。時々、この様に光の射し具合で堆積模様が良く観察出来る部分に恵まれる事があります。

2013年8月6日火曜日

伊豆石丁場の見学 (2)

薄暗い丁場で接写をするのは実に難しい。画面左手の金属環に見えるものはLEDライトの先端部で、直径20mm。岩塊の硬い雰囲気は捉えられていると思う。この部分には斑晶は見当たらないが、他の部分では斜長石の白い斑晶が見える部分も在る。非常にグラッシーで急冷されたものと思われる。但し、部分的な急冷縁は見当たらない。
尚、此処でハンマーを振るった訳では無く、これはこの丁場に残された壁面そのものだ。

2013年8月5日月曜日

伊豆石丁場の見学

伊豆石の丁場跡を見学させて頂いた。伊豆石は江戸城などの石垣に使われた安山岩・玄武岩系のものと、民需も多い凝灰岩系のものが在るが、小生の興味の対象は、房州石と似た凝灰岩系の伊豆石。
ここの石材は房州石に良く似ている。丁場単位で観察していて大きな違いは正面の壁面に見える岩塊が存在する事だ。但し、石材として取り出された時は、この岩塊は一緒に切出す事が出来ないので、石材単位では比較が難しい。

伊豆石に関する資料は比較的多い。地質的にも古くから研究されているからだけれど、文献と実在の丁場跡が旨く繋がらない。勿論、これは伊豆石に限った事では無い。

2013年8月4日日曜日

伊豆下田巡検の下見:石廊崎付近の白浜層

爪木崎灯台下の浜に広がる凝灰岩層です。といってもひび割れで判るように強度は余り無さそうです。黒い部分は熱水変質した部分と熔岩の両方が分布しています。
画面はほぼ北の方角を観ています。スケール代わりに人物を入れてしまいました。
下向きのお顔なので特定は出来ないと思いますのでお許し下さい。