2013年4月13日土曜日

ボラの鼻:「黒滝不整合」露頭観察

今日は稍乾燥していて、泥岩や砂岩の崖の露頭を観察するにはやや残念な天候では在ったが。10名ほどのメンバーで干潮時(東京湾平均潮位+7cm)を利用して「黒滝不整合」露頭の観察会を開催した。これがそのボラの鼻の「黒滝不整合」の露頭右側が黒滝層、左側の比較的整然葬が清澄層。で広域タフの“Ky26”と“Ky26.5”が観察出来る。
何れ、この露頭や勝浦市内の松部石や鵜原石の記録をご報告する機会があれば嬉しい。
*下記に関連画像を置いています
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html

淡路島付近を震源とする地震

2013年4月13日、早朝5時33分に淡路島付近を震源とするMw5.7深さ約11kmの浅い地震が発生し、その8分後に余震が発生した。上は(独)防災科学研究所の高感度地震観測網で観測された“Hi-net 高感度地震観測網”が捉えた「最大振幅分布図」。同HPでは振幅アニメーションも既に公開されている。
http://www.hinet.bosai.go.jp/AQUA/max_amp.php?LANG=ja

千葉の砂岩の風景 (8) 海鹿島海岸の砂岩露頭

海鹿島海岸の海辺の露頭と沖合の露頭(下)何れも似たような砂岩の露頭である。但し、この付近と言うか銚子付近の地質は複雑に入り組んでいるのだが、その境界を判別しにくい。直ぐ傍に全く異質の露頭が在るので驚いてしまう。 

2013年4月12日金曜日

千葉の砂岩の風景 (7) 海鹿島付近の砂岩採掘跡

海鹿島近くの砂岩採掘跡をもう一か所ご紹介しましょう。
個人のお宅なので場所は明記しませんが、この池は採掘跡に水が溜まり自然に池になってしまったのだそうです。かなりの広さです。
池の傍にはこうして砂岩の露頭が残っています。 

下の画像はその露頭で採取させて頂いた砂岩表面の拡大画像です。細粒の肌理が揃った砂岩です。 

2013年4月11日木曜日

千葉の砂岩の風景 (6) 海鹿島の海岸

銚子電鉄の「海鹿島:あしかじま」から海岸に出るとこの様な風景が広がっている。手前は砂岩の露頭であり、奥は生け簀に使われていたもの。地元で採掘した砂岩をそのまま生け簀の堤防に積み上げる雰囲気である。この付近では海岸線も県道の内側にも砂岩の採掘場が在った。
上の画像では砂岩の形状がやや雑だが、下の画像ではややきちんと成形されている。

2013年4月10日水曜日

千葉の砂岩の風景 (5) 竹町の石蔵

何故か?縦位置の画像が横に寝てしまうので、取り敢えず石蔵の砂岩を積み上げた壁面の画像をUPしておきます。ご近所の方にお聞きしても良く判らないが、かなり古そうな石蔵が在る。この付近には他にも黒塗りの下見板を取り付けた蔵が在ります。土蔵なのか、石蔵なのか?判りませんが風情のある佇まいです。
 画像を回転させて読み込ませて何とか石蔵をまともな姿勢でUP出来ました。
美しい石積みです。これと似たような石積みが外川地区の確か石塀にありました。煉瓦寄りは大きいけれど、普通の蔵などに用いる石材よりも小型のものを積み重ねるとまた別の雰囲気で美しさを感じます。



2013年4月9日火曜日

千葉の砂岩の風景 (4) 和田町の蔵の跡

以前の船溜まりの近く、多分船溜まりに面していただろう位置に、この風景があります。古い絵葉書に残る砂岩の蔵の跡ではないかと思って居ます。何かの本でこの直ぐ傍の古い歴史を誇る商店に石蔵が在ると聞いて居ました。壁の部分はとても保存状態が良いのに屋根の部分が崩落したのか、危険があって解体したのか判りませんが、砂岩の美しい石材が大量に使われています。この画像の部分は側面だった様で向かって左側が出入り口、右側には小さな窓が開いています。

2013年4月8日月曜日

千葉の砂岩の風景 (3) 清水坂下の石垣

小学校からの坂道の片側が同じ様な砂岩の石垣で築かれている。この付近は学校の傍なのでか?それ程遊び心は見られなくて整然とした石組だが、花崗岩の石垣を見慣れたものには妙に新鮮に写ってします。
最近の護岸工事等を見て居ると、古い石垣にカーテンウオールの様に、軽量Cチャンにボルト締めされた薄っぺらい「石垣」を搬入して来てボルト締めして裏込めでハイ!完成!といった工事が存在して寂しい。この付近もこの先永くこの景色が続いて欲しい。

2013年4月7日日曜日

千葉の砂岩の風景 (2) 本銚子周辺の石垣

銚子電鉄の本銚子(もとちょうし)を降りて線路に並行して少し戻ると踏切のある交差点に出ます。清水坂下の交差点に向かうと砂岩を用いた石垣が連なっており、その中にこの様な石組の部分があります。清水坂下から和田町の昔の船溜まりを埋め立てた公園方面には歩いてもそれ程の距離ではありません。和田町から竹町等昔の船溜まりの周辺には石造りの蔵や土蔵も残る地域で、房州石か伊豆石か判りませんが良く似た石材も偶に道路脇に転がっています。