2016年1月1日金曜日

下田市・白浜神社脇の石丁場跡 (2/2)

引き潮の時期に神社の有る御崎の方に近寄ると波の来ない崖の部分でこの様な露頭があります。この画像では遠すぎるので、もう少し近づいて撮影した画像をトリミングすると下図が得られました。
白いものは軽石の潰れたものが多い様です。貝殻の小さな破片(貝砂)も見えます。赤と黒のスコリアも見えます。小さな岩片も見えますがこの程度の画像ではその種類までを見分けることが出来ません。
現在は崖の崩落で「危険」と書かれた看板で立ち入りを厳重に戒めていますが、実はこの奥に入る事が出来れば岩相はかなり変化します。砂礫分が少なくなるとこのような地層も見えます。但し固結度は低い様です。中央は石灰藻でしょうか?周辺を見て頂くと貝砂が非常に多くなっています。
上の画像の中心部をトリミングした画像を下に示します。石灰藻(?)の右手に発泡した軽石があります。周辺には二枚貝や牡蠣らしい破片と共に貝砂が大量に含まれているのが判ります。
中にはこれはウニのとげでしょうか?やはり細かな貝砂が大量に観察されます。
実はこの御崎の奥の方にもこの様に石材を採掘した跡がこの様に観察されます。これは現在は立ち入りが危険なので”Google map”等でこの付近の海岸を拡大してみると識別出来ます。
伊豆半島の東海岸では、この様な貝砂が多く含まれる石材の採掘が、南の須崎、柿崎辺りから板戸付近の海岸ややや山寄りで盛んに行われ江戸とその周辺に出荷されていた様です。

2016年の始まりも石丁場から始まりました。
3月から千葉県立中央博物館では「石材が語る 火山が造った日本列島」と言う小さな展示が開催されます。私もこの企画に少しだけお手伝いしているので今年の初めは慌ただしくなりそうです。

2015年12月31日木曜日

下田市・白浜神社脇の石丁場跡 (1/2)

白浜神社付近は駐車場が少なく観察には不便ですが、冬場は人が少ないので意外と簡単に駐車出来る事が有ります。神社に参詣した後に、神社の脇に在る道から海岸に出るとこのような風景が広がります。
少し島に近寄ると手前の方は階段状に削り込まれています。
鳥居の有る島の手前の海岸にもこの日は潮が高い時間帯でしたから波を被っていますが、岩が見えます。
波が引いたタイミングを見計らって見るとこのように人工的な切断面が見えます。これは石材を取り出した跡です。石材の性質については2016年に続けましょう。

2015年12月30日水曜日

下田恵比須島海岸の石材採掘跡

下田市内で比較的アクセスの良い海岸沿いの石材採掘丁場の画像をご案内します。但し、この場所は本当に波打ち際のほぼ汀線付近に在るので、潮の満ち干を良く調べて干潮時だけ行く様にして下さい。
また天候の悪い風の日には波に洗われる事もありますので十分に注意して頂く必要が有ります。
場所は、須崎半島の恵比須島です。バス便は最近本数が少ない様なので、爪木崎灯台方面のバス便を利用して確か「爪木崎入口」で降りて、下り坂を歩き、帰途は須崎発の数少ない便を利用する事がお勧めです。団体ならこの地区の民宿を利用すると良いかもしれません。私が泊まった民宿は待遇が凄く良かったと記憶しています。
島の周回道路が現在どうなっているか?判りませんが、風が強く波が打ち寄せるような状況では、最悪は灯台の横を通る中央突破の道で反対側の海岸に出ると、石丁場の跡が観察できます。
下の画像のやや淡い色合いの部分もよく見ると石切の跡が観察されます。
下の画像では水面下にも石切り跡が観察されます。
この島は地質の変化が激しく興味深い場所です。きれいな粒径が均一な砂岩から、軽石混じりの部分もあれば、礫岩の部分も存在します。


余り知られていないようですが、興味深い場所です。岩塊は固着しています。
海岸の石丁場では、須崎から爪木崎への遊歩道沿い(海側)を歩けば細間島の採石跡が在り、夏場は駐車場の確保が難しいけれど、白浜神社の近くの砂浜や鳥居の立つ岩礁にも採石跡があります。
この種の、貝化石片(貝砂)が多く含まれる石材は、類似石材の産出地も多く、科学的な証明も出来ていませんが、江戸・東京から埼玉県の北部まで運ばれて、商家や神社の礎石として数多く使われています。

2015年12月28日月曜日

伊豆下田の凝灰岩石丁場跡の観察例の御紹介

今日は下田市内の伊豆急下田駅から車で10分以内の近場に在る石丁場のお話をさせて頂きしょう。
下田市内の中心部には、実は古い石丁場跡が有ります。文化会館の在る辺りの八幡神社や現在の私立幼稚園もその一例です。残念ながら私立幼稚園周辺の丁場跡は津波避難の際の危険除去の為に数年前に吹き付けコンクリートで覆われてしまっていますが、八幡神社の境内にある灯篭などは地元産の石材です。この石材(に類似性の高い石材)は埼玉の川沿いの宿場町まで大量に入ってきています。

私達は、これまでに下田市内の敷根地区に在る多数の石丁場の中で、夫々に特徴のある石材を産出して居た坑道タイプの地下採掘場の三か所にご案内を頂いて入坑した経験がありました。
千葉県船橋市の船橋大神宮の東西の石垣に用いられている白色の凝灰岩質石材と類似性が非常に高いと考えている石材が、伊豆急下田駅から直線距離で1km程度の処にあります。栃木県足利市の旧家の美しい縞模様を示す石材は、勿論下田市内の古い商家の両袖等にも使われていますが、これは白色凝灰岩を採掘する丁場跡の尾根を挟んで隣の丁場でした。足利の旧家の縞模様の石材は石塀の北側に位置していますが、西側は風化面はやや淡い茶系ですが、実際の石材は淡い緑色です。足利では一部が明らかに大谷石で補修されています。(船橋大神宮もかなりの規模で大谷石に置き換えられています)、最初に入った稲生沢川左岸の石切場はその石材と非常に類似性が高いと考えている石丁場です。

伊豆の石丁場を全て巡ったわけではありませんが、比較的坑道型の地下採掘の丁場が多い様です。房総半島では鋸山に観られるように開放型の丁場が多く存在します。鋸山の採掘された地層は褶曲により上総湊から湊川沿いに東西に延びて勝浦の南付近まで点々と採掘跡が現存し、一部は地元の方々の努力で整備保全がなされ、地元の教育現場で生かされている例もあります。房総は同じ地下採掘でも開放部が多く、かなり光が差し込み観察が容易な丁場が多いと感じています。
但し、日光に晒されているとシダ類が繁茂して石質の観察には往生する事があります。石丁場跡に入る際は常に壁面や天井の崩落の危険性があるので、現場の状況に詳しい地元の方々の情報を得ておく事が大切ですし、常に複数で行動する事、大きな懐中電灯と予備の電池を携行する事、急斜面での移動用にロープを用意する事等も大切ですがまず第一に、可能な限り地権者の了解を得る事が求められます。イノシシ除けの電気柵への注意も重要ですね。

宅地跡のある広場から切通風の地形の中の土砂が緩く堆積した急斜面を滑りながら登ります。体重80㎏の私はこのような土砂の斜面は苦手です。斜面上の小さな足掛かりの場所から1mほどの高さに在る平場に在る小さな立ち木に縋って登るとその後は崩落した大きな岩塊の上を飛び渡り、岩石屑の堆積した斜面を上り下りしながら広い丁場の中を行き来する事が出来ました。幸いな事にこの丁場は所々に明かり窓があり、比較的うす明るい空間で写真を撮りやすい環境でもありました。

大谷石の地下採掘と同様に大きな列柱が残されて高い天井を支えていましたが、石質(強度)にばらつきが有るらしく、採掘跡の空間の壁面の方角はまちまちでした。部分的に粗く弱い部分があったらしいことは、坑道の一部が完全に陥没したり、大きな亀裂や採掘跡の在る大きな岩塊が倒壊していることからも理解できました。三脚を持参しなかったので、広い空間を長時間露光でとらえる事が出来なかったのが残念でし
た。
上の画像は壁面が大きく崩壊した例です。この右奥では隣室との境が大きく崩落していました。
奥の壁面が屋や茶色に見えますが、崩落した部分を繋ぐと、丁度この辺に地層の境界が有るる雰囲気でした。伊豆の地層は変化に富んでいます。
壁面にはこの様に大きな亀裂が生じて少しずれが生じている部分もあります。

大部分の緑色凝灰岩は、一般的な大谷石に観られるような味噌が無く全体が細かな軽石が変質を受けて、緑泥石か緑簾石が生じているものと思われました。破断面の観察では四谷駅前再開発の商家の基礎に用いられた「ローソク石」と非常に類似性が高いのですが、やや細粒部分が多いのと、壁面に残された採掘痕から判断される石材の採掘寸法が、ローソク石とは全く異なる事が見て取れました。坑内二か所で大きく露天の場所が有り、GPSデータを取得してみましたが、竪穴の深さが深く樹木が生い茂り、一か所では誤差範囲が20mもう一か所では10mほどの推計値が示されていました。

坑内の斜面を造る転石(ずり)の中に、市内の弁天島や柿崎等に観られる貝砂を含む淡い茶系の石材も見られましたが、残念ながら壁面では観察する事が出来ませんでした。このずりの堆積は巨大な垂直の崖を形作る開放型の採掘跡につながっていました。

伊豆半島では松崎町に、無人ながら町が整備し照明も付けられた室岩堂と言う坑道型の採掘跡が公開されています。下田市内では、干潮時に観察可能な海浜の石丁場跡が、須崎半島の恵比須島や白浜神社の浜の鳥居のある島付近等にあります。白浜では漁協の駐車場傍に、凝灰岩質石材を用いた石蔵があり。下田一~三丁目には数十か所に石蔵、家屋、礎石等を観察する事が出来ます。凝灰岩の顔(岩相)を観察するのも旅の中での楽しみです。伊豆急下田駅前に近い「旧南豆製氷所」は既に取り壊されてコジャレタレストランに生まれ変わっていましたが、ガラス張りの店内の石材や周辺に置かれた石材は今も観察可能です。