2016年3月18日金曜日

古い画像だが 霧島連山 (4) 新燃岳 青い火口湖

安物のフィルムスキャナーの画像なので鮮明さに欠ける画像なのが残念だが、霧島連山の中では新燃岳も大好きな山だ。新燃岳の肩を通して高千穂の峰。この峰はスコリアが足を滑らせてしまうのでどうも好きになれない。

新燃岳を通り過ぎてこれは中岳の火口を手前に観ながら、新燃岳と韓国岳もそこに重なって見える。ここまで来れば高千穂河原までは下り道で直ぐだ。

でもその前にもう少し新燃岳の火口周辺を見ておこう。今はもう溶岩が塞いで見る事が出来ない。




2016年3月17日木曜日

古い画像だが 霧島連山 (3) 韓国岳を

1999年の丁度今頃の季節に、端を発して半年間入院生活を過ごした。悪性リンパ腫と言う奴だ。
抗がん剤を6回と放射線治療の併用で何とか生き延びて職場復帰も果たし、抗がん剤で全て抜けてしまった毛髪やその他諸々の全ての体毛が、何とか復帰してくれて外見上は体格の良い普通のおっさんに戻ってはいたが、2004年11月と言う時期は、まだ旅行中に体調不良に陥った場合に駆け込む医者への紹介状を持っての旅だった。
退院時に宣告された余命も残りぎりぎりで、「死都 日本」のシンポジュームに参加すると言う口実で、一番果たしたかったのがこの韓国岳を見る事と、鹿児島に住む友人に加久藤カルデラとその火砕流堆積物の露頭を案内して頂く事だった。
韓国岳は兎に角途中まで行ってダメならそこで引返す心算で、「ゆっくりと写真を撮りながら歩きますから、お先にどうぞ!」と言いながらゆっくりゆっくり歩いたものだ。
これは早朝の明けの明星だろうと思う。水星ともう一つは何だったか?周囲が霜で真っ白だったのは記憶にある。

前日に行き損ねた甑岳。甑岳に向かう道が樹勢の割れで見て取れる。

火口底が見える。山頂まではもうすぐそこだ。

暫く迷ったのだが、同年配の方から、もしえびの高原に戻るのならタクシーを相乗りしませんか?と誘われたので、私はかなり時間が掛かりますよ。と念押ししたのだが、かなり強く誘われたので、これを過ぎればもう後は登りは少ないと思い、先に進事にした。これは多分「琵琶池」の稜線だろう。


獅戸岳らしいのが見えてきた。これを越せば後は新燃岳である。もう引き返せないから先に進しかない。体力が減退しているのが凄く体に響いてくるのが良く判る。でも、韓国岳に登れた!新燃岳も越せそうだ!と思うとあの時は涙がボロボロこぼれたのを覚えている。

2016年3月15日火曜日

古い画像だが 霧島連山(2) 白紫池と六観音

この旅の時はえびのの国民休暇村に宿泊している。ビジターセンター裏手から白紫池への遊歩道を歩きながら白鳥山の山頂を目指したらしい。池は御池:六観音池で向こうは甑岳。

大浪の池の火口縁が平らな稜線を見せている。


白紫池は堰が有ってその付近は少しいびつな筈なのでやはり白鳥山に登っているのは間違いない。
あの頃の体力で大したものだと思う。時間が記されていないのでコースタイムは判らないが本当にゆっくりゆっくり歩いたのだと思う。

秋の甑岳は火口原の緩やかな皿状のくぼみに、「山ラッキョウ」が一面に咲いて美しい時期だ。
この時は、不動池まで下りずに途中から甑岳に向かったのだが、巨大な鹿が登山道を塞いで動かずに、ずっとにらみ合いの状態が続いて、とうとう根負けして諦めた。一度少し戻る振りをしてみたが駄目だった。

御池:六観音池の畔だろう。

2016年3月14日月曜日

古い画像だが、霧島連山(1) えびの高原硫黄山付近

千葉県立中央博物館の春の季節展「石材が語る 火山がつくった日本列島」が始まりました。私も昨日の日曜日に説明の応援員として終日詰めていました。

展示の中に、霧島連山の中で一番好きな「韓国岳」の画像が有るのですが、見ていると懐かしくなり、探してみると2011年に「死都日本」シンポジュームで宮崎に行った際に、病後の回復しきれていなかった体で、これが最後かもしれないと思いながら縦走した際の画像が出て来ました。
当時はオリンパスの“OM-1”と言うフィルムカメラを愛用していたので、これはフィイルムスキャナーで読み取ったものです。かなり色がボケていますが、今丁度、活動が活発化している硫黄山の画像が有りましたので、これと併せて縦走した際の画像を少しご紹介します。


































一番下の画像は既に韓国岳の登山道を歩き出してからのものです。その上の画像の遊歩道は既に立ち入り禁止区域に入っている筈です。昨日展示をご覧になられた方たちの中に妙に硫黄の結晶に興味を持たれた方が居られたので硫黄の画像も入れてみました。