2019年7月20日土曜日

南米ペルーの“Ubinas”火山が噴火中。警報レベルも「イエロー」にUP!

GVPの火山活動の概要で下記の内容を御案内させて頂いたばかりですが、今現在(7月20日20:30分)噴火中ですので御案内します。





昨日御案内させて頂いた内容
Ubinas  | Peru  | 354020 | 5672 m
地震活動レベルが上昇したままの状態が1-15日の間続き、連日平均279回の火山性地震と長周期の液体移動に由来する地震が、連日116回発生しました。少量の青味を帯びた噴気が火口から上昇しています。
⇒ 警戒レベルは「イエロー」( “INGMENT”のスペイン語のサイトでは現在も「グリーン」です。

2019年7月19日金曜日

GVP 週間火山活動情報の概要:7月10日 ⇒ 16日;23火山+α

AVOから“Semispochnoi”火山の情報が有りましたので追記しています。





カムチャツカ半島:Bezymianny_Kamen_Klychevskoi_火山, 2019/07/15_095902

メキシコ:コリマ火山, 2019/07/19_044421

コリマ火山のハザードマップの一つ。彩色部分をラハールが流れ下る

カムチャツカ半島:Klychevskoi_火山, 2019/07/16_105559

SEMISOPOCHNOI 火山の位置図

同上,“RSAM”値の変化状況

Stromboli_火山の噴火画像, 2019/07/15_0030_INGV

Stromboli_火山のLivecam 画像,2019/07/19_0249

Villarrica_火山, 2019/07/16_0753_
POVI によるFB投稿から引用

今日は6日の途中撤退した「埼玉スリバチ学会」FWのリベンジで石材探し

朝からなんだかすっきりしない天候だったが、7月6日のFWを途中でリタイアして行けなかったコース後半の「榛名神社」と「苗間神明神社」だけでも回ろうと東武東上線の「ふじみ野」に降り立った。最初に「ふじみ野市苗間の神明神社」、次に「富士見市勝瀬の榛名神社」、ここで雨が降りそうな黒雲が急接近して来たので、丁度やって来た地域バスで一端ふじみ野駅まで退避。
そのまま帰るのは癪なので、先日直ぐ傍まで行きながら立ち寄れなかった水子氷川神社裏手に在る同じ水子の「八幡神社」に行く事にした。幸い、この三か所で伊豆の凝灰岩を観る事が出来たので、FWの地図の右端付近の「江嶋神社」まで更に欲を出したのだが、いや見付からない事!遂に諦めて帰宅後調べて見ると、そのすぐ傍までは行っていたのだが、なんと石祠と石鳥居だけのしかも建物の陰にある「神社」だった。その内、再チャレンジするさ!でもまずまずの成果を上げた一日だった!

苗間八幡神社境内の四体の石祠の一つ。「宝暦五乙亥年(1755)」銘が有り、石材は伊豆から大量に運ばれた粒状組織を持つ伊豆軟石

苗間八幡神社左手の煉瓦造りの大きな燈明台の礎石は、伊豆の石灰質凝灰岩だったが、珍しく石灰質は少ないが、斜めの縞模様は明瞭だ。明治の建築らしい。

榛名神社の拝殿前の笠石は大きな褐色の岩塊が時々、この様にポロリと外れてしまうのが欠点。

拝殿と本殿の間の、玉垣の内には、伊豆の粒状組織が目立つ凝灰岩が燈篭に使われており、建立は文化八辛未(1811)年

この燈篭の礎石には伊豆産の石灰質凝灰岩が使われている。

本殿の基壇石組は色白の安山岩質石材で「弘化五年(1847)戊申年だから結構古い時代。燈篭よりは新しい。

境内の「舩山弁財天」も粒状組織の伊豆軟石で造られている。これは享和二壬戌(1802)年だからこれが一番古いようだ。

水子の八幡神社は少し判り難い場所に在るが、多少雑草があるものの、拝殿は綺麗に建て替えられている。境内には、同じく伊豆の軟石を用いた明治三十九年銘の燈篭が有る。角礫の緑色凝灰岩の破片も確認。

“GARMIN”GPSを使い始めてかなりの年月が経過するが、先日、ふと見ると電源スイッチの部分のゴムカバーが疲労破壊でだろうが、ポッカリと孔が居てしまった。ネットで調べるとこの防水ゴムカバーは補修用としても販売していないらしい。消しゴムを削ってシリコンゴムでも詰めて使うかと思っていたのだが、

なんと「ふじみ野」駅前に“GARMIN”の建物が有るではないか!ダメ元で、ゴムカバーだけ買う事が出来ないか聞いてみたけれど矢張り駄目だった。買い替えるのももったいないので、やっぱり消しゴム作戦で行こう!!

2019年7月17日水曜日

花崗岩の「石目」補足

今日、たまたま茨城県桜川市真壁町外れの抜け道を走った際に、2015年の博物館の調査で見学させて頂いた石材工場の脇を通り、真壁付近の花崗岩石材の「石目」を2015年に撮影していた事を思い出した。

この付近は、最初の図に示す様に長尺の石材が取れる処で、画像の石材の断面は、ほぼ118 cm の正方形です。この様な長尺が取れるのは石材に粘りが有ると云うか、梁の曲げなのである程度引張にも強いと云う事だと思う。
二ヶ所の石切り場の石材画像を見ながらやや顕著な「石目」の画像をご紹介します。尚、矢穴を切って割るような石目はこれほどはっきりはしていない。教えて頂くと確かに!と思うのだが、写真に取ると何処が石目なのか判らなくなるので笑ってしまう。微妙な光の角度等で見えるものらしい。



その石切り場の風景。真壁の街からこれを見ると小さな露頭の様に思えるが、実に広い石切り場です。

花崗岩は、石目の方向に逆らわない様に割ればかなり平滑な破面を呈すのですが、所々に在る顕著な「石目」に当たる部分で割ると破面にこの様な段差が現われます。

別のより細粒の石切り場の見本石材で、手をスケール代わりに観て下さい。この細粒の花崗岩は「糠目:ぬかめ」と云います。

ここの石切り場には節理が顕著に観察されます。茨城には「太刀割り石」と云う天然記念物が有って。大きな花崗岩がすっぱり真っ二つに割れていて刀で切った様に平らな断面なのでそう呼ばれていますが、この石切り場も、真っ直ぐな節理が縦横無尽に走っています。この中から大きな均質の石材を取り出すのは大変な石目を読む力が必要の様です。

前の画像の表面を横から見ると安山岩等でも良く観察される板状節理の様な部分が見えます。先程の石目の段差と同じ様な発生機構なのかもしれません。

石目の中には、この様に脈状に鉱物が観察される場所もあります。

常盤橋周りの安山岩と花崗岩

先日、久し振りに常盤橋の修復工事現場を訪ねた時に、現場に置かれている橋にの側板に使われている石材が気になったのだが、現場にラベルを張った石材が幾つか置かれていたのを見ると側面に江戸城の石垣石と同じような記号が彫られていた。花崗岩では無さそうなので、湯河原や小田原付近の比較的白い(白丁場石?)安山岩なのだろうと思ったが、近付けず、透明パネル越しの撮影では岩相は写せなかった。
外堀通りの常盤橋は一見石橋の様な造りだが、これはコンクリート造りで細粒の花崗岩を貼っている。この橋は関東大震災後に架橋されたものだが、細粒の花崗岩に剥離が起こっている。その橋の袂に昭和三十(1955)年小公園が造られ、岡山の「さくらみかげ:万成石」らしい石材が使われている。
久し振りに、万成石の石切り場を見学させて頂いた8年前を思い出した。当時は、関東の万成石を探してブログにUPし、岡山の石材屋さんとリンクを張って頂いていた。石切り場、比較的ハッキリした石目で割れた時の破面の形状、半製品の表面は仕上げ方に拠って印象が大きく違う事、岡山の後楽園傍の詩碑、後楽園内の詩碑の一部等をご紹介します。

常盤橋復元工事現場に置かれていた石材には、築城石と同じような記号が彫られている様に見える

外堀通りの常盤橋に使われた細粒の花崗岩の一部に剥離が生じていた。最小目盛は0.5 mm

橋の袂に在る公園に使われている「万成石:さくらみかげ」らしい石材。目盛は 1 mm 単位

岡山の万成石の石切り場。背後は二面共に自然の背節理面。これに平行に顕在化していないが、石工さんには判る「石目」が平行に入って居てそこを割る。

「石目」でも、規模の大小は有る。これは比較的大き目の「石目」で割ったもの。ハンマーはスケール代わりに置かせて頂いた

半製品の石材置き場で矢穴の後が見える

岡山市立美術館内壁の万成石。外側は異なる産地の石材

ガスバーナで炙って整えた表面。結晶が大きく異質の鉱物が有るので熱膨張率の差で初めてこのような表面が得られる

岡山市内の後楽園の上流側の端の近くの歌碑:まてどくらせど・・・この様に外側に自然の錆を残すのも風情があって喜ばれるらしい

後楽園内の詩碑。撮影者:私の背後の低い石垣に故人の略歴が彫られている

前の画像のごく一部。  以上

2019年7月16日火曜日

火山の状況に関する解説情報;7月16日1600時公表

阿蘇山、口の永良部島、桜島について発表がありましたので御案内します。
阿蘇山 第79号
口永良部島 第73号
桜島 第57号
以上