2011年2月10日木曜日

房州石・古墳(B-2)赤羽台3号古墳

石室の岩石の向って左側の列を少し右側から撮影してみました。埋葬が行われる内面なのですが、こちらの面も孔だらけの表面が並んでいます。
それほど硬い岩石では無いし、副葬品に金属製品が使われている状況なのに、少しは、凸凹の表面を整形するとか試みなかったのでしょうか?石組みの間の隙間が空き過ぎたら土砂が石室に流れ込んでしまうでしょうから、石組みには多少は工夫をしたのではないかと思いますが、「高貴」な方の埋葬場所としてこれほど穴あきの岩石が、しかも石室の内面に使われた事に何か意味が在ったのでしょうか?この穿孔貝の生痕化石が、何らかのメッセージを秘めているのでしょうか?
方や刀剣や様々な宝飾品を作る技術を持ちながら、石室の内面を、例えば粘土で滑らかな壁に仕上げるとか?そんな工夫は要求されなかったのでしょうか?
それにしても、この様な様相の岩石に対して、足利や金谷の街の風景の中に見て頂いた房州石と同じな前を冠して呼ぶのに相応しいと思われますか?

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