2011年2月8日火曜日

房州石・古墳(A-9)金谷の街で

R金谷駅を通り過ぎた路地に入り込んだ場所の、蔵の一部でしょうか?夕陽が入って一部堆積模様が光って見えない部分がありますが、ここの石組みも美しい絵のようでした。千葉には火山は有りませんが、房州石の元となった安山岩質のスコリアや火山灰は一体何処から来てこの地層を作り上げたのでしょうか?千葉には嶺岡層群の様に玄武岩の枕状溶岩が産する場所もあり、この内房の海岸線を歩くと(勿論、内陸にも)蛇紋岩あり、火山灰起源なのか砂鉄の濃集している層も在り、中には生痕化石が砂鉄で出来ている例なども見る事が出来て、地層的には実に興味深い場所でもあります。
房州石が建材として使用されてきた事例のご案内は此処までです。房州石と呼ばれて来た岩石のイメージがお判り頂けたでしょうか?尚、平塚市博物館の石材図鑑(平塚の街でみられる地球の歴史)⇒凝灰岩類2のコーナーにも房州石が紹介されています。
明日からは、考古学で言う処の「房州石」が、私は「富津磯石」が適切ではないかと思っていますが、実際に古墳の石室や、古い遺跡に使われている「穿孔貝の生痕化石」がある泥岩と砂岩の例をご案内します。

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