2020年7月17日金曜日

岩石と地層の表情:080;守谷海岸の石切場跡

勝浦市の鵜原から更に南に下り、興津の手前に守谷海岸があります。この海水浴場の海岸の、南側の漁港の奥に短い素掘りのトンネルがあり通り抜けると波蝕棚の様な景観の石切場跡が広がっています。漁港なので、何かと車の出入りが多く、余所者が車で出入りするのが嫌がられるのですが、海水浴などのシーズンを除けば、多少心臓に毛の生えている方々ならば旨く車を止められると思います。
切り出した石材を運び出すために開かれたと思われる素掘りのトンネルはやや四角い形状に掘りぬかれています。この形状はトロッコか車力などで運び出したのではないかと思われます。
素掘りトンネルを抜けると覆い被さるようにオーバーハングした崖が見え、その前にかなり広い多少の凹凸が在る平場が広がっています。これが石切場です。
別の方角を見ると平らに成層した地層が広がっていますが、画面左手の方で、白鎖線を置いた辺りに断層が斜めに走って地層の色も、堆積状態も変わっています。
石切は水の溜まり具合から地層に平行に平らに掘り起こしながらの採掘だった事が判ります。地層に平行に切る事で、矢板を打ち込んで剥がす作業がやり易くなります。比較的柔らかい三浦半島の佐島石や鎌倉石・鷹取石等と同じですが、堆積環境が異なる鋸山の房州石とはこの点が大きく異なります。(斜めの縞模様が多く見られます)
水底には、ツルハシで掘り込んだ石材の形状を示す跡が残っています。一定の深さにツルハシの打ち込み深さを保つのも結構熟練の作業でしょう。
この様に平場での石材採掘では、最初にどの程度の高さの山(丘?)が在ったのか判らないのが残念です。但し、前の崖の画像に観察された断層がこの平場も通過していますので、この掘り込みの右側は石材には適さない恐らく泥岩の天津層だろうと推定できます。
底生生物の生痕が観察されます。
石切跡の崎の先端側から素掘りトンネル側を眺めた図です。左手に人が立っています。この場所だけでは無くこの周辺には他にも垂直の崖の形状からそれと判る石切場跡が散在しています。
房総半島南部での石切場や凝灰岩質石材の使用状況を国土地理院地図にプロットしたものです。x印は石切場跡。赤丸は所謂「房州石」が使われている場所。赤色星印は「高宕石」と言うやや特殊な石灰質が豊富な強度の高い石材。山間部に産出し山からの搬出に人背で運ばなければならなかったのでごく限られた範囲にのみ採用されています。青丸はあまり有名では無いけれど一応石材として採掘された凝灰岩質石材が用いられた場所。数か所に分散していますが生産地と消費地が至極接近し提案す。君津市や三浦半島側に数か所見える緑丸は伊豆半島の凝灰岩質石材が使われている場所です。南房総には X 印の石材採掘跡が海岸線を中心に結構分布している事がお判り頂けると思います。守谷海岸は図の右から三番目のX.
千葉県北部・埼玉東部・東京都北東部を含んでいますが、緑色は前の地図と同じく伊豆半島南部から運ばれて来た凝灰岩質石材が石蔵や、擁壁、階段、礎石等に用いられている場所です。赤色の房州石の類は意外と苦戦しています。これは伊豆の石材が先行し大量の実績を築き上げてから房州石が地の利を生かして参入した事を暗示しています。
地図の右端の方等に淡褐色の丸がありますが、これは筑波山麓から来た下総型板碑用の泥質片岩です。下総型板碑にはこの泥質片岩と石灰質の飯岡石が使われています。

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