2020年7月3日金曜日

岩石と地層の表情:066;金山城と金山石凝灰岩

このお城に関しては町の教育委員会が電子データでパンフレットを公開していますので興味のある方は参照下さい。
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/shiseki_pamph.html
古い時代の山城ですが、節理の発達した流紋岩質凝灰岩の山の上に築城しているので、比較的石材の採掘が容易だったと見られ、「矢穴」の痕跡が残る石材は僅か数点(確か三点)。で矢穴があるとされる石材の何処が矢穴かな?と写真を撮ろうとしたら撮影禁止だと叱られました。岩石の年代は、天神山石の御案内時にご紹介した産総研の高橋雅紀氏による論文(1991)に記載されています。
地図は産総研のシームレス地質図に赤線は東武電車の路線を示し、緑は経路を示しています。城のある山の山頂近くには駐車場がありますが、山麓にはガイダンス施設(赤四角)がありますので先に寄ってからの方が良さそうです。
小さな赤丸は高橋論文のサンプル採取場所です。露頭が在ります。
駐車場から城址に向かう途中の柱状節理の露頭です。ここは叩いちゃいけませんが、来る途中でKy-2露頭で見た岩石はかなり固いものでした。「一部が強溶結した流紋岩質火砕岩類」と定義されています。残念ながらこの付近では本質レンズを観察する機会は有りませんでした。
右手の「物見台」下の堀切部分は、地山の火砕岩を掘り起こしています。
「大手門虎口」付近は最大の防御点でしょうから両側から石垣が迫っていて生半可な戦いでは通り抜ける事はおぼつかない雰囲気です。雨水を逃がす水路も城内の不断の生活では問題ないでしょうが、闘いの最中には、寄せ手の足元を狂わせそうですね。
基壇上の石組が、敵の侵入を阻むのでしょう。こんな上から狙い撃ちにされ、更にこの基壇上の石組の上には伏兵がいるのでしょう。
何段にも組み上げられた石垣の下は、同質の硬い火砕岩の地山です。
石垣の一部を拡大して見ました。切り揃えた石材ではありませんが打込みハギと言う石積でしょう中々堅固な石垣の様です。矢穴跡の雰囲気が観察される岩塊が在ります。
火砕岩の節理がスパッと切れていて面白いですね。
山頂部に建立された神社の参道階段に敷き詰められた石材です。勿論これも火砕岩です。
こんな山上の城内にも生活を守る池があります。

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