2020年7月1日水曜日

岩石と地層の表情:064;群馬の藪塚石丁場跡

千葉県にまでは群馬の藪塚石は入っていないと思われるのですが、この近くの「天神山凝灰岩」が千葉県内にある五輪塔の素材として使われていると云う論文があります。
石材も人間関係で思わぬ場所まで運ばれる事も有るし、残念ながら何故その五輪塔の素材が天神山石なのか明確な理由が記載されていないと思うし、その石材の事をほとんど知らないので、兎に角天神山やその近くの石材を見に行こうという事になり、まず導入部として藪塚温泉付近で採掘された「藪塚石」の丁場を見学したのでご紹介します。これから一週間程度は群馬県が舞台です
シームレス地質図に歩いたルート図を緑線で記入したものです。実線は露頭を調べる都合で我々が移動したコース。鎖線は少し近いだろうルートです。東武電車を藪塚で下車し田んぼの中をトコトコ歩くと丘陵の縁に出て道路が二股に分かれます。ここに大正十年の「藪塚石材之碑」顕彰碑があり、傍に、レンズ状の圧密構造が観察出来る露頭があります。
この露頭のK-Ar年代に関しては、産総研の高橋雅紀氏による『群馬県東部金山地域に分布する溶結凝灰岩のK-Ar年代』(表題検索で閲覧可)を参照下さい。
車の通れる道路から藪の中に入る分岐点には小さな案内看板がありました。
石丁場跡の入り口です。明治の中頃から採掘が始り、明治三十六年に石材組合結成。土台石や火に強かったのでカマド等に加工され、関東諸府県(当時は東京府)から長野まで販路があり、最盛期には350名の採掘従事者が居たが昭和30年頃に大谷石が機械化を成し遂げた為に駆逐された様です。尚、石切り場は此処だけでは無く尾根沿いや、少し南東に離れた太田市菅塩でも知られています。他の場所は整備されているか判りません。
この石丁場は最初は恐らくこの付近から表土を剥がし、表層のクラックだらけの石材を捨てながら下に掘って行き次いで横に、地下採掘へと進み、現在の前面に搬出口を設けたものだと思われます。
比較的均質な凝灰岩と思えたのですが、所々に、主に黒い岩片が密集しています。これでは採掘に苦労した事だろうと思われます。
黒い岩片を含む転石がありましたので割ってみました。玄武岩にしては斑晶が随分多いような気がします。
採掘跡を良く観察すると、白い凝灰質の固まりが見えて来ました。意外と不均質な感じです。右手の壁に黒い岩塊が見えます。
天井を見上げると石材店さんの名前と屋号が書かれていました。石材屋さんに敬意を込めてご紹介します。ここは他人が悪戯のしようがありません。クラックも多いようです。
切羽側から丁場の入り口を眺めた図です。細くなっている部分の石材は表層に近い為に割れが多くて使えないので、出入りの為に必要な幅だけを切り拡げています。
切羽がかなり不規則に切り拡げられているので、岩塊や割れ目の為に採掘に苦労しただろうことが偲ばれます。

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