2020年5月21日木曜日

岩石と地層の表情:021;赤湯温泉・烏帽子山八幡宮

公衆浴場といっても、小洒落た場所を見付けたので、まだ日が高いのですが、取敢えずひと汗流して一休み。これから烏帽子山八幡宮の歩道橋として造られた石橋と当時としては最大級の凝灰岩製の鳥居を見に行きます。赤湯も石材の産地の筈ですが石切場情報が得られていないので取敢えず石造物の観察を優先です。
康寿橋は明治時代に築造された参道に架けられた歩道橋です。この後ご紹介する当時としては国内最大規模の鳥居を建てた石工吉田善之助の弟子である川合兄弟によって
築かれたとされています。
烏帽子山八幡宮の大鳥居です。高さが10.75m、柱石は勿論地元産の凝灰岩で一本ものです。鳥居の大きさだけでは無く、この鳥居が急傾斜の傾斜地に建てられている事も
重要なポイントです。勿論、鳥居を建てるのは現在なら「鳶職」が司るのですが、当時は建師(ひきし)と呼ばれていたようですが、これを建てた建師のお名前は
「市川良次」です。石材は神社の裏山から切り出された様です。
念の為、鳥居横の説明版の記載を写しておきました。
鳥居を正面から見上げてみました。参道階段は結構な急傾斜で中々うまい具合の画角になる位置を決めるのに苦労しました。
我々の見慣れた板碑とは少々異なりますが、武蔵型板碑に共通する二本の横線が入っています。岩全体を烏帽子岩と言いますが七面に板碑を掘り込んでいます。板碑も、その造立する地域の石材事情を反映しているので、山形では凝灰岩ので、これが宮城に行くと井内石で板碑が造られているようです。
板碑の説明板の記載です
石垣も凝灰岩で築かれています。高畠の石材屋さんの資材置き場にも四角錘の間知石が山と積まれていましたね。
山形で良く見掛ける標柱です。何故か上に特段の加工を施したように見えない岩塊を載せています。一応階段を登って見ましたが、「明治三十一年三月 社司 新山某」と刻まれているだけでした。しかし、この階段も何のためにあるのでしょうか?階段と反対側に何か刻んであったのでしょう。
燈籠の足元の彫刻です。一部分が欠けていますが結構大胆に深く掘り込んでいます。石材にかなり自信を持つ石工の作なのでしょう

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