2020年5月9日土曜日

岩石と地層の表情:008;銚子と瓦;メランジェの粘土の贈り物

黄色の線で囲んだ部分に、銚子の「瓦屋」さんが多い時で17軒ありました。右手の工場(水産加工場)が並んでいる部分は埋め立て地で、その境目が段丘崖になっています。その崖の付近に良質の粘土が採れ瓦を焼き始めました。今でも製造は出来ませんが、愛知県の高浜あたりから仕入れた瓦を販売し、施工する瓦関連業者さんが沢山立地しています。左端の水色の部分では良質の銚子砂岩が採掘されましたが、台地のかなり高い場所なのに何故か湧水が多くて深く掘り下げる事が出来なかった場所です。
緑色で囲んだ範囲には、2回目でご案内した、チャート礫の混じる砂岩の露頭が分布しています。赤色の範囲には古銅輝石安山岩の露頭が在り渡る事も出来ます。
黄色と緑が接している付近には、以前はチャートの露頭がありましたが、埋め立ての細にかなり失われ、現在は雑草に隠れて探すのは少々苦労でしょう。

モノトーンの絵は「大共同」と呼ばれた瓦用粘土の洗い場の様子を描いたものです。昭和60(1985)年に「郷土史談会」に失われた風景を記憶に残したいと、「平林久恵」さんが書かれた記録に、その後友人が挿絵を描いて下さったもので、地図で云うと黄色と緑の線が上側で離れる辺りにあった様で、平林さんと一緒にその痕跡を探して頂きましたが、探し出す事は出来ませんでした。私が「郷土史談会」を訪ねて例会に参加した事から、いろんなメディアに平林さんが取り上げられるようになりケーブルテレビの取材を受けたので、多くの方々にこの事が知られ、平林さんがご友人と二人で車を駆って私の調査に同行して下さったので、古瓦のサンプル入手や調査・観察が大変順調に進み本当に助かりました。

瓦には、葺いた状態では見えない場所に、この様な刻印が打たれており、この刻印で夫々の製造業者さんが判ります。現在の瓦よりやや厚めなので手に持った時に、古いものか新しいものか判ります。

④ 瓦は「ダルマ窯」と言う炉で焼かれました。この直径40cm強(左手の白い用紙はA4)の絵皿は、取材当時93歳だった宮川さんが家人もご存じ無かったものを
話の最中に急にフラリと居なくなったと思ったらひょっこり思い出したと云って、倉庫から探し出して見せて下さったもので、三州の粘土屋さんからいただいた「ダルマ窯」の絵皿です。

瓦の材料粘土の調査は、薄片を造っても焼成したものだけに、他に比較する薄片観察画像も殆ど無く(薄片観察画像の含まれた研究報告が一件だけ手に入りましたが)
ほぼ真っ暗なので困りました。仕方が無いので瓦を 1cm程度の厚みで短冊に切り、両面を研磨して表面に現れた岩片を観察する事にしました。

研磨後の表面を撮影した例です



岩片の部分を接写拡大した例です。

愛知県の瓦産地である高浜市に現存して、年に一度は火を入れる現役のダルマ窯を見学させて頂きました。粘土は瓦工場の敷地そのものが粘土山の上に立地していました。
粘土のサンプルは丁度工事中の作業場の外の地面から直接採って下さいました。縦長の開口部は左右二ヵ所に在り、此処から乾燥した瓦の成型品を窯の中に運び込んで積み重ねます。

群馬県藤岡市のダルマ窯です。御主人が不在でお会い出来ませんでした。また粘土も旧来のものは無く入手出来ませんでした。
滋賀県近江八幡市の瓦美術館に展示されたダルマ窯の復元品です。ここは落ち着いた町並みで、瓦製造組合が設立した美術館でその時代にも一度訪ねていたのですが
今は近江八幡市の管理になっており、技術的な資料はほぼ得られませんでした。

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