2018年5月25日金曜日

越谷市旧越巻(現新川町)の凝灰岩仏塔等

稲荷神社の由来によれば、現在の新川町は綾瀬川の左岸に位置し「越巻」と呼ばれて居たらしい。比較的近くに、「丸の内稲荷と満蔵院」と「稲荷神社と観照院」の二組の神社と寺院の組み合わせが在る。両者共に慶長十七年と元和元年と云う1600年代初頭の数年の差で創建され現在は無人となった満蔵院が別当の稲荷であったらしい。今は無人となった満蔵院に、素人で恥ずかしいがこれも「一石六地蔵」と呼ばれる範疇のものだろうか?
大きく割れながらも尚原形を保った明治十三年辰(1880)製建立の凝灰岩製の石仏が在った。



向って右手は完全に剥落している



石屋さんで「みどり」と呼ばれた伊豆の凝灰岩に彫られた寛政六申(1794)年の年号が刻まれた墓石も観察する事が出来た。凝灰岩製の墓石はごく限られた範囲に分布しているだけで、今回の様に年号がはっきりと読み取れる例は少ないので良い観察例を積み重ねる事が出来た。

帰りに立ち寄った草加で、何時もは通らない道を歩いたら、駅から近い場所に房州石の石蔵を見付けた。建物の陰で殆ど見えないが、丁度望遠レンズを持っていたのでギリギリ、壁面を撮影させて頂いた。

その直後に青木宗義の子孫である石材店さんの御当主にばったりお会いして、この日に観察した(青木宗義異聞に記した)石燈籠の事を暫く立ち話をしたが、天候は余り芳しくなかったが、良い一日だったので、序に帰りに昔の馴染の居酒屋に立ち寄ってしまった。

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