2011年5月19日木曜日

房州石・古墳(O-3)野毛大塚古墳:回り道;多摩川流域の地質

野毛大塚古墳に行って見ようと思い、古墳の位置を調べ始めて現地に行き、次に世田谷区立郷土資料館を見学に行きながら、偶々これまでこの2つの場所には縁が無かったけれど、実は自分にとって或る意味非常に身近な場所にこの古墳と資料館がが存在していた事に気付き唖然とした。豪徳寺も野毛ももっとゆっくりと歩いてみたかったが、既に親しかった友人は居られないので諦めた。
それに、この附近の地下も随分と様々に土質資料を検討し、シールドトンネルの補助工法を提案し採用して頂き、実施工の時に立ち会って居た。
特に、宿河原ではシールドの補助工法が旨く行ったけれど苦労をさせられていた。巨大な円礫がさして深くは無い地下に大量に存在して掘進は困難を極めていた。
そんな、大礫が存在する地層を流れる多摩川に何故、東京湾の対岸とは言え、遥々千葉県から強度に書ける穴だらけの泥岩を搬入しなければならなかったのか?疑問が次々に湧き上がってきた。
尤も、利根川流域でも、行田や玉村附近の円礫の量は半端なものではなく、シールドマシンを掘削不能な状態に陥らせる事が出来るほどに凄まじい。トンネル掘削時の土質資料は、定年退職時に破棄しているので手元には無い。それでは、地質系のHPの中から、幾つかの画像豊かなHPをご案内してみよう、というのがこの「野毛大塚古墳」での目標とした。

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