2011年5月16日月曜日

房州石・古墳(O-1)野毛大塚古墳:房州石は使われてない


この「野毛大塚古墳」は東京都世田谷区の等々力渓谷から程近い場所に鎮座している。
さきたま古墳群の展示の中に生痕化石(孔)のある「房州石」(⇒このブログではこの泥岩に対して「房州石」の呼称を用いるのは不適正であり、富津地域等の地元で用いられている「富津磯石」等の呼称を使用すべきだと考えて居る)が使われているとされる関東近辺の古墳のリストが在るが、その31/33番目に掲載されている古墳。
リスト記載の31番目(33番目は観察していないので省くが)のこの「野毛大塚古墳」や32番目の多摩川右岸の「馬絹古墳」は水系が異なるので、富津磯石も使われて居ないと考えたが念の為観察に訪れた。
東京都教育委員会が作成した説明板によれば帆立貝式の前方後円墳で「三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段にめぐらされている。 後円部頂上には四基の埋葬施設があり、中央に粘土に包まれた割竹形木棺、南東側には箱式石棺。北西側には二基の箱形木棺が収められている。」・・中略・・「野毛大塚古墳は関東地方の中期古墳文化を代表する五世紀前半に築造された古墳である。出土した多量の武器・武具類や石製模造品は、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることを示している。」と書かれている(H5建設)
古墳は、画像に示した通り、H01-04年の発掘調査後に葺石と合成樹脂製の埴輪で「再現」されている。葺石に「河原石」を用いながら、敢えて強度の低い泥岩を運び込む必要は無いと考える。尚、等々力渓谷に露出する岩石は公園整備の目的で外部から搬入した可能性もあるが、上流の調布附近の京王線地下化工事の際には人頭大の硬い砂岩が多数出現しており、等々力渓谷でも同様の砂岩が採掘出来た可能性は高いと考える。

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