2011年3月9日水曜日

房州石・古墳(H-5) 弁天山古墳

柔らかな砂岩から顔を覗かせた泥岩と言うべきか、スランプボールの方が正しい表現だろうか?これと同じような泥岩を含む砂岩が、この古墳からそれ程離れていない場所でも見る事が出来ます。下側の泥岩質のスランプボールの周辺は少し茶褐色に見えるのだが、どうやら鉄分が多いらしい。と言う事は、或いはこの画像の砂岩的固まりは意外と近くの海岸から採集されてきたものかもしれない。
さて、赤羽台古墳の石室石材からいくつかの古墳の穿孔貝の生痕化石の残る石材を見て頂きました。
考古学で言う「房州石」が、産地の地元と目される千葉県では富津磯石の名で呼ばれる、「石」とは言いがたい未固結の「泥岩」や「砂岩」から構成されている事がお判り頂いただけたのでは無いだろうか?
このブログでは、夫々の石材の産地を同定使用などといった野望を持って居る訳ではないが、房州石はやはり鋸山周辺で石材として用いられてきたものだけに摘要して、古墳に使われている穿孔貝の生痕化石のある泥岩・砂岩に対しては「富津磯石」の名で呼ぶべきだと思う事を改めて述べて置きたい。
次回からは、この弁天山古墳からほど近い富津の磯根崎海岸から徐々に鋸山に向って南下しながら、或いはこんな場所から富津磯石を採取したかもしれないと想像を逞しくしながら海岸線の風景をご案内したい。

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