2020年6月25日木曜日

岩石と地層の表情:058;猿島の房州石

第二海堡の石材調査を行っている最中に、たまたま猿島砲台と千代ケ崎砲台の国史跡指定を祝うシンポジュームが開催されたので、調査関係者一同が打ち揃って聴講させて頂いた。この時に主催者が盛んに猿島砲台には房州石が使われていると強調するのを聞いて根拠を聞きたかったが質問を受けて頂けなかった。台場のごく狭い範囲の護岸には房州石か伊豆の凝灰岩かやや判断に迷う石材が使われていたが、それ以外は殆ど地元産出、或いは鷹取山付近の石材と思われる石材が積み上げられていると思っていたので、そんなに見落としはしていない筈だがとと思いながら再訪して見た。
猿島は横須賀のJR横須賀中央駅からほど近い「三笠桟橋」からのフェリーが在る。片道10分程度の船旅。毎時1往復程度の頻度で運行されている。フェリーの運航その他については下記を参照のこと。
https://www.tryangle-web.com/sarushima/
島の入り口には高い崖が聳え、この日は数多くの「鵜」が体を温めていた。地山はこの程度の急崖を保持できる程度に適度の地山の強さを保持している様だ。
島の施設の南側の旧桟橋側の古い護岸を海岸側から観察すると塩害風化に傷められた安山岩類と共に、鎌倉石に似た茶褐色の恐らく野島層~浦郷層に由来すると思われる石材が多用されており、房州石は見当たらない。
島の周囲を取り囲む護岸の一部を見るとほぼ安山岩が用いられている。第一海堡や第二海堡では、房州石は用いられているがほぼモルタル被覆により塩害風化を避けており、房州石が表に出るケースは少ない。
島の北東端に在る「海浜展望台」から海岸に下った地点の、弘化五(1847)年~嘉永六(1853)年に築かれたという「台場」の古い護岸は、画像に横線を入れたが、下部は房州石或いは伊豆の凝灰岩が用いられているが、横線より上は野島層の石材が用いられている。特段の根拠は無いが、当時の房州石は海岸の埋め立てや陸上の護岸・擁壁の用途が多く、海岸の護岸に用いられた石材は長年の実績が多い伊豆の凝灰岩質石材の可能性が高いと思われる。
砲台施設の中のトンネル部は、天盤アーチ部は肌落ちを防ぐ為かモルタル類が塗布されているようだが、側面は素掘りのままで地層が観察される。海底土石流が下部の地層を削り込んだ状態だろうか? 灰色の部分の石質を確認しておかなかったのが残念!
砲台の連絡通路は自立している地山も在るが、地山に類似した切り石を高く積み上げている。房州石の様な縞模様は観察されるが、石材の地肌の色は茶褐色で有り野島層か浦郷層のものと思われる。代表的な房州石ではこれほど茶褐色~赤褐色系は少ないのです。
島の北西部。日蓮洞と云われる海食洞が存在する。三浦半島では比較的半島の西側の葉山層群に石灰岩が混じるようだが、ここではやや高い位置に石灰石が観察される。(矢印)石灰岩の近くのやや大きな角礫風の岩塊は恐らく「シルト岩」と言う奴だろう。
葉山層群は三浦層群より古い地層だから、ここの石灰岩は葉山層群のものとは別なのだろうか?地層は難しい。
「三浦半島の地質」の画像に「三浦層群池子層」と「上總層群浦郷層」の不整合として紹介されている画像と同じ位置の画像。この付近の「黒滝不整合」相当部分は緩い傾斜不整合または平行不整合らしいので判り難い。池子層は「泥岩・火砕岩互層(鷹取山・神武寺軽を除く)だから、礫岩が結構下まで有るのでその下の海食棚の部分が池子層らしい。
http://www.edu.city.yokosuka.kanagawa.jp/chisou/search/syosai_05.html
これも日蓮洞下の露頭だが、かなり大きな岩塊が存在する。取敢えず石材になりそうな地層でも無いし、良く観察しなかったのが今となっては残念。

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