2020年6月12日金曜日

岩石と地層の表情:045;横須賀市佐島の石切跡

横須賀市佐島には広大な敷地の住宅開発が行われているが、その宅地開発地区と電力中央研究所、或いは自衛隊基地に挟まれた処に、佐島石の石丁場として知られている場所が在る。
但し、この場所は、大正時代に発行された石材に関する重要文献の記載とは異なる立地であり、私は現在の「長坂射場」か、その南側の現在の長坂三丁目の住宅地付近に石丁場が存在したと想定している。地表部分の採掘を終え、或いは射場として接収された為に、より近くの現佐島隧道付近の同一地質の場所において採掘を行ったと想定してる。
写真地図は国土地理院のものに白枠で石材採掘跡露頭を、若緑の囲みで、樹木の繁茂の様子から石切場が存在したと想定している場所を示す。
産総研 1/50,000 地質図「横須賀」に追記。若緑の“A”は、初声層の「佐島石採掘跡」。大正初期の「神奈川県産建築石材応用試験報文」の石切場位置とは一致しない。
距離的には若緑“C”が最有力だが、この部分の地質は“Mt”;即ち「森戸層」であり、佐島石の石質と異なる。その点、“B”地点は同一地層であり、森戸層の分布領域を残し削剥されている。尚、地質図左上の水色で囲んだ部分が「立石」で、蛇行する水色が「前田川」であり、この川の「立石凝灰岩部層」の領域に「前田川園地」が設定されており、河床を観察し、酸化により急速に岩石の色が群青色から黒に変わるのを観察出来る。
房総半島では鴨川漁港に類似地質が分布する。前田川の少し下に書いた細い水色の線は「芦名川」小学校の近くの芦名城跡の南側に小規模の石切の跡が残っている。
バスで佐島港から佐島隧道に向かう隧道直前にこの様に石切場跡が見え始める。バスの車高が高いので見えるが、乗用車では見えにくい。
ぎりぎりの拡大画像。残念ながら道路側表面は風雨により採掘の跡は良く見えない。
トンネルを出て振り返ると、トンネルの直情迄石切の跡が見える。トンネルの名称板は今は雑草に絡まれて見えないと思う
トンネルに向って右側の採掘跡。所々に暗色系の層が見える。
立入禁止の柵の傍からトンネル側を見上げて写した画像
壁の表面にはほぼ同じ方向に鶴嘴を振るった加工痕が残る。
大楠小学校の傍に芦名城跡があるがその少し南側に有る石切跡と思われる遺構。大楠小学校のグランド側擁壁(ブラフ積)にも佐島石が使われているが風化が進んでいる。
石切跡は個人の私有地と思われるので、路地を芦名川に下ると川に出た処で、露頭を観察する事が出来る。

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