2020年5月29日金曜日

岩石と地層の表情:031;JA石巻・稲井支店農業倉庫

この画像は2013年の6月に撮影したものです。野蒜石を調べる傍ら、石巻産の井内石も少し調べてみようと思い立ち、牧山を南側から山の縁の石材屋さんが並ぶ道を時計回りに回っている時にこのの野蒜石を用いた農業倉庫に出会いました。例によって赤い線はJRの石巻線。東北本線の小牛田と石巻を通り女川に至る路線です。橙色の曲がりくねった線は牧山とそれに繋がる井内石の採掘場跡が造る曲線の大体の線を現した心算です。緑の点がこの農業倉庫の位置を示します。稲井駅前から北上川沿いの山裾には、アベタ石材さん他の井内石採掘・加工業者が「軒を並べる」状態です。
昔の井内石の採掘場が連なる橙色の線沿いの地区は、石屋さんは残っていますが稼働している処はありません。中には、あそこに一本大きな奴を埋めてるんだ。もうあんな大きな石を使う仕事は無いだろうな!と話してくれた親爺さんもいました。
手前の「ズリ」が多過ぎましたが奥に井内石の絶壁が見えています
立ち入る事の出来る最後の石切跡だと思って歩いてきたら、立派な野蒜石を用いた農業倉庫がありました。井内石の石工さんが丁度居られて井内石と野蒜石の事をいろいろとご教示頂きました。農業倉庫の上と下は同じ野蒜石なのだが、上は比較すれば水に弱いので比較的上の方に、黒い方は強いので礎石から腰下に使う事が多いとの事でした。
何処から来た?と聞かれたので千葉から来た事を云うと、「昔は千葉に随分と儲けさせてもらったな~!」と仰います。関東でも特に井内石の大きな石碑材の需要が大きかったとの事でした。この一言がきっかけで、千葉県内の井内石の分布状況を調査し、牧山以外の石切場を歩き、しまいには、南九州は飫肥の街外れで、井内石の石碑を確認する羽目になってしまいました。
白い部分は、スコリアが少ないのですが、組織的には凝灰質の固まりが寄り集まっている状況には変わり有りません。
白い部分の壁面です。これに似た石材は、後日、鳴瀬奥松島ICのランプロード内にある。「川下石」の現役の石切場でお目にかかることになりました。
黒い部分の方がやはり何となく強そうな雰囲気があります。
部分拡大をしてみました。日陰の部分で撮影したのでこの画像では判り難いのですが、緑色凝灰岩も混じっています。
黒い部分の接写拡大図です。発泡した組織が観察されるので、スコリアと考えて良いようです。
やっとスケールが壁面に引っかかってくれました。
白い部分を観察していると、中には筋状の組織を示すものが含まれている事に気付きました。筋目は水平方向に走っていますので、軽石が圧密されて筋状に見えるのか?それとも、軽石が繊維状の気泡を持って居たのか?この画像だけでは確認出来ません。

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