2019年1月29日火曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (6)

多胡石は別名牛伏砂岩と云う名称から、牛伏山に行けば砂岩の露頭が在るかもしれないと考え手向かう途中に「住吉神社」が在りましたので、地産地消の砂岩が使われているだろうと立ち寄ってみました。境内の殆どの石材は、勿論、石巻の稲井石の石碑もありますが、殆どは多胡石と考えて良さそうです。しかも、境内の一隅に建てられた「住吉神社資料館」の表は模様が美しい多胡石で飾られています。また、神社の裏手の大沢川は砂岩の露頭で美しい渓谷となり、下流側は河床が洗われている滑川となっています。大沢川と西の天引川の間が、この砂岩の主要産地の様です。





最初の三枚はその住吉神社資料館の壁面に使われた多胡石の景色です。

燈籠の新しいものは昭和八年と九年のものが有ります。私より一回り年上です。エッジはしっかりしているので、素地の硬さは十分の様です。

燈籠の古い方では、天明二(1782)年九月銘のものと享和二壬戌(1801)三月のものが有ります。図は天明二年のものです。

神社の下流側の大沢川河床です。凹凸で大体の走向は判りますね。

上流側も下流側も大きく抉られています。水流による岩石の浸食形態は面白いですね。神社の裏が一番狭い渓谷になっています。

対岸を観ていると所々に花崗岩や安山岩を切出す時に用いる矢穴の様な、長四角の穴が観察されます。水道の様に自然に出来たものにしては不自然ですからこの場所でも採石をしていたのかもしれません。不動明王が祀られています。

神社の道路向かいに「舟石」があります。厚い部分は優に2mを超す大石です。「多胡碑」にも刻まれた「羊大夫」に纏わる悲しい物語が残されている様です。この付近は梅林で、所々に築かれた石垣は殆ど砂岩を使っています。

鳥居と、鳥居に掲げられた神社額は砂岩で造られています。鳥居の建立時期は不詳ですが、神社額の後ろには「平成九年八月改修」の銘が刻まれていました。まだ、多胡石が採掘されている時期です。

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