2019年5月16日木曜日

昔話:第二海堡で使われた凝灰岩質石材

 永い間、一般人の上陸が禁止されていた「第二海堡」に、個人レベルではまだ無理のようだが「ツアー」に参加すれば上陸出来るようになったらしい。
 かなり昔の話だから勝手に「時効」にしてお話するのだが、声が掛って第二海堡で使われている凝灰岩質石材の産地を調査する為に、私は勿論随伴者としてだが、非公式にだがお役所の船で上陸した事が在る。
 第一海堡に関しては鋸山では無く富津市売津地区(上総湊の南側に石切り場が存在した)から大量に凝灰岩が納入され地域が大変に潤った事が判っている。第一海堡では石材が 73,264 m^3 使われ、その費用が 172,947 円支払われたのに対して、第二海堡では石材量は 6.6 倍に増えたのに、支払われた金額は 1.7 倍にしか膨らんでいない。石材費用が単位体積当たり 1/4 に減らされている。そして第一海堡に石材を納めた地域にも、鋸山にも、第二海堡に石材を納入したと云う具体的な記録も記憶も無い(軍事機密の壁も有ったと思われるが)富津岬の砲台には、房州石と伊豆の凝灰岩が使われており、観音崎の砲台には伊豆の石灰質凝灰岩が大量に用いられている。
 結論は出せなかったが、三浦半島の広い地域と、内房の鋸山以南に産出して比較的名も無い「地石」として使われていたものと似ている事が判った。現在の米軍基地内泊勝力地区を中心に陸軍管理地から採掘したものらしい。泊勝力地区では、明治23年に石材採掘の為として松の木が 600本の伐採申請記録が残っている。また、相豆沿岸でみだりに人民が石材を取っているので厳重に取り締って欲しいと云う願書も軍の記録に在る。
 米軍基地内の地質調査は出来なかったが、江藤哲人氏が神奈川県自然史資料 3 の53-58頁に「横須賀米軍司令部地域の地質」と題した報文を発表しており、本文中で「浦郷凝灰岩質砂礫岩層とした本地域の火砕岩は、模式地等他地域のものに比べて、固結状態が堅固である違いがある。それゆえ、本地域の浦郷凝灰質砂礫岩に関しては堆積学上興味深い問題が含まれている」と記されている。興味深い。当時、三浦半島の凝灰岩を見直す為に数十回三浦半島に通い、海岸線を歩いた。代表的な、凝灰岩質石材の顔をご紹介しましょう。

最初に安山岩質石材。これは野帳が探し出せないので外形寸法がうろ覚えだが長手方向は 100 cm 以上だった。

波打ち際に置かれた安山岩石材は塩害風化を受けていた。側面はもっと酷かったが旨く写せなかった。

海側に置かれた凝灰岩質石材は保護用にモルタル被覆が施されていた。この部分はスコリア質が主体

泥岩偽礫が混じった石材が多い。岩石ハンマーは勿論私の個人用





全面スコリアか、泥岩偽礫が大きなものは、勿論、房総半島にも無い訳では無い





私が現地に行った頃は、砲台の傍はまだ砂利道だった。

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