2012年7月9日月曜日

大谷石のようで

大谷石も採掘される範囲が大変に広大な地域に跨っているので、実に多様な顔付をしている。
大谷石に関わると余りに石材としての生産量が大き過ぎて身動きが出来なくなる事は、素人にとっていかんともしがたい分野と言える。しかし、いくら「房州石が命!」と叫んでも、同じ凝灰岩であるこの石を避けてはやはり身動きが出来ない!
大谷石と外観から想定されても、実は顔付が全く異なり、南は茂木付近から北は徳次郎辺りまでいろいろな石質が分布している。これは房州石の探索で、旧松戸宿付近の古建築を目印にして、小さな露地までほぼくまなく歩いていた途中で、見掛けた石材の画像です。上は神社の恐らく江戸時代の狛犬の台座に使われていたもので横幅が350mm。下は寺院の昭和初期の四国巡礼の碑に使われていたもので此方は300mm。

大谷石の蔵等の画像も大分増えて来たので、その中でも日光に近く、日光石とも言われた徳次郎の石材の顔を少し続けてご覧頂こうかと考えて居ます。

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