2011年4月2日土曜日

房州石・古墳(J-2) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

此処は背後の砂山(千葉県の殆どは砂山の様なものだが)からベルトコンベアで埋め立て用の砂を運んだ積み出し設備の「遺跡」。
この附近も、富津磯石の産地の候補地です。画面左手にギリギリ東京湾観音が見えています。新舞子海岸視線の方向から右手に奥まっているので画像では確認出来ません。
この附近の崖は大体砂岩(砂泥互層)が中心だが、この附近のホンの一部に砂礫層が混在している。砂礫層には良く円磨された小型の礫が多い。しかも砂礫層の一部分は大きく乱されている。砂礫層は古墳とは関係ないが興味深い場所なのです。

川崎市の馬絹古墳に行って来ます。さきたま古墳群の展示資料に馬絹古墳では「房州石」が使われていると記載されていましたが、調べてみると此処は整形された古墳屋さんの言う「切石」が使われていて、彼等の言う「房州石」とも「富津磯石」とも異なる事が判っています。でも地質屋はやはり現場を踏まなければ行けないと言うのが原則です。
先日訪ねた「野毛大塚古墳」ではやはり「房州石」も「富津磯石」も使用されていません。巨大な「木棺」の画像を見間違えたのでしょうか?この辺もキチントした発掘情報を探したいと考えています。国立東京博物館の資料館は震災の影響で閉館中で発掘資料を観る機会がありません。
二つの古墳については何れ近い内にご案内します。

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