2019年3月10日日曜日

自画自賛・自己流・自己満足


凝灰岩質石材の観察を記録に残し始めて恐らく8年位の年月が経過して、この年度末に博物館に提出する「市民研究員成果報告書」にはその一部を報告したのだが、観察事例件数が丁度“888”件になった。頁数にして、5,255 頁。一件辺りの頁数は大体6頁。画像はA4に一~二枚程度なので大体一件辺り9画像程度だろうから全体で8,000枚程度だと思う。年度末に、全てのファイル(PDF)をDVDにコピーして大体10名程度の関係者や親しい方々に受け取って頂いている。
化学的な分析等一切やっていないので、資料集の表紙にも書いたが、「化学的な分析機器も無く、またもし黒曜石の産地同定に役立つ程度の成分分析装置があったとしても、相手が貴重な文化財では端っこをぶち欠いて分析用サンプルを採る事は出来ない。更に殆どの凝灰岩は全く不均質な存在なので、分析手法確立されて居らず、産地同定の為の理論的な裏付けも無く、当然データの積み重ねも無い現実で、目視観察をメインに凝灰岩質石材の消費地域内分布や産地同定を試みようとするのは「無駄」の権化のようなものだとは思いつつも、ではそれが確立されるまで放置して何もしないのも馬鹿馬鹿しいと思うのです。
 石材産地の研究者の方々が消費地での使われ方や、現状がどうなっているのかを知りたい様に、私達も江戸時代から明治・大正そして昭和の中頃まで、建築・土木・石塔や仏像等に使われてきた石材は一体何処から来たのか知りたいと考えています。
 老い先短いだろう人生の中で八年間ほど、江戸(東京)を中心とした消費地と、伊豆半島・三浦半島・房総半島他の石材産地と思しき各地を歩き回り凝灰岩質石材を撮影してみました。晴れた太陽の直射で色が飛んでしまったり、雨に濡れて黒く見えるのに乾燥すると別物の様な色を示したり、千変万化する「色」に弄ばれつつも観察の数を重ねると、いくらか、石の顔がすこしずつ見えて来たように思い、取敢えず大まかにグループ分けしてみました。中には、どちらにしようか迷った挙句、エイヤット!取敢えずこっち!なんて乱暴なケースも無いではありませんが、大まかにこんなものだろうと云う分類をして、皆様にも同じものを観て頂けるように、所在をしっかり記載した観察記録画像集を作ってみました。」と云うレベルの作業。
 この一年間に、愛用の木製スケールを3本も紛失したので、かなりボケが斑に入ってきた雰囲気なので、あと何年続けられるか判らないが、なんとなく、一段落した雰囲気。
さて、明日は「確定申告」に取り掛かろう!

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