2018年8月13日月曜日

岩槻区箕輪:箕輪久伊豆神社

岩槻駅北口から真っ直ぐの道を岩槻警察署の少し先まで、1.3 km 程の直線を歩くのは、直線道路が苦手な私には出来れば辞めておきたいものだが、次の予定地に行くバス便の都合が良くないので箕輪に足を伸ばす事にした。鳥居に架かる扁額は残念ながら安山岩。ネットで観た範囲では社殿の周りにコンクリートの棒材が適当に置かれた雰囲気だったので期待はしていなかったのだが、基壇の石材は苔や汚れで確認出来なかった。亀腹に刻まれた文字部分、燈籠の部材、二体の青面金剛とその一部拡大図、石宮(茂神宮?)、鳥居の台石に刻まれた建立時期などをご紹介。地面に近い土台石等の土埃を払うと様々な文字が現れて来て興味深い。

箕輪神社扁額:本来は久伊豆神社だが、地域には数多く久伊豆神社が存在する為に、地図表記等ではその地域名で記載される事が多い。

亀腹に刻まれた箕輪村氏子名の一部。寄付金額が刻まれていないのですっきりする。幸いな事に亀腹には彫刻に適した、粒状の凝灰質に砂礫サイズの火山岩片が混じる緑色凝灰岩が使われている。

私の苦手とする「「流麗な筆遣い」で、再建時期等が記されているが石材の地肌の模様と重なって読み難い事夥しい。明治元年四月だろうか?

燈籠は素材が上下で不揃い。境内を探すと、竿の折れたものを二本確認されたが、肝心な年号の刻まれた部分が無い。竿と火袋は後世のものと判るが、火袋の素材は石屋に在庫でもあったのだろうか?旧来のものと同じ石材が使われている。亀腹と同類。







境内には青面金剛像が二体と天神様の坐像がおわしたが、小さい方は着物の柄まで彫られている。足の一部が欠けているのが残念。箕輪村講中により寛政十戌(1798)年九月吉日の建立。石材は凝灰岩である。

大きい方は正徳二(1712)年10月吉祥日の建立だが、下部に右手には箕輪村の文字が、左下には「施主 女一人」と刻まれている様に読めるが「女」は読み違いだろうか?



小さな伊豆の凝灰岩に彫られた石宮は「茂神宮」と読むのか、「山戌神宮」と読むのか?不詳。寛政七年十二月吉日の建立。

鳥居の台石に従えば、鳥居は当所安政三(1856)年に建立されたが大正十三年九月に再建されている。関東大震災が大正十二年9月なのでこの時に倒壊したものと思われる。

以上

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