2017年5月5日金曜日

大正八(1919)年の煉瓦建築

昔々、故郷から筑豊の炭坑に行く時に「折尾」と云う駅で汽車を乗り換えるのだが、この駅は線路が二階建てで、主要路線である「鹿児島本線」は高い位置を走り、筑豊の産炭地から石炭の積み出し港の若松に走る「筑豊本線」は低い位置を走り、立体交差になっていた。煉瓦はこの画像の様な煉瓦とは質が異なったが、溶鉱炉や工場街の電気炉や、小さな配管部品等の鋳物工場も有り煉瓦は身近な存在だった。
 この画像の煉瓦建築は大正八年との事なので、およそ百年を経た事になる。煉瓦の表情に目が行ってしまい、建物の全体像はややお粗末な撮影になってしまったけれど、これは埼玉県熊谷市の「熊谷聖パウロ教会」と云う。聖堂と門が文化財として登録されている。



















建物について詳しく知りたい方は下記「日本聖教会」と云うキリスト教系団体のサイトを参照下さい。
http://nskk-kitakanto.org/facilities/index.html

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