2011年2月1日火曜日

房州石・古墳(A-2)金谷の街で

これも金谷美術館の外壁の一部に使われている房州石です。肌理が細かく房州石の中でも最上級のものだろうと思います。前述の「房州石の歴史を探る」第1号の第6頁には「竹岡層は粗粒な火砕砕屑物で構成されているが、均質で堅牢であることから地域では「房州石」として切り出され利用されてきた。鋸山周辺から切り出された石を「房州石」、「金谷石」、「元名石」、「明鐘石(鋸山が東京湾に突き出ている岬に明鐘隧道:みょうがねトンネルがあるので、“みょうがねいし”と思われる:引用者)」と称している。明治時代からは、「房州石」の呼び名で統一したと言う。」
と書かれています。(鋸山と房州石:千葉県立天羽高等学校 高梨正氏)また、竹岡層については、1990年に発行された1/5万地質図幅「那古地域の地質」第28頁には上総層群竹岡層として模式地は北隣図幅「富津」市竹岡としています。岩相は「顕著な偽層の発達した直径2mm-1cmの安山岩質スコリアと安山岩質岩片を主とする凝灰角礫岩の互層、白色軽石を多く含む点で三浦層群の萩生層と差異がある。」と書かれています。

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