2021年5月19日水曜日

石材の流通範囲を調べるたのしみ

様々な石造物を見ていると、関わった石工がこの石の性質をどう捉えてこの形状に、この用途に加工したのだろうか?この場所では別の石材の選択肢はなかったのだろうか?等と考えるのが面白い。別の地域の石材とよく似ているけれど、何が違うのか?加工されたものを叩いたり割ったり或いは研磨して組織を観察したりすることは出来ないが手触りと、蘚苔類や地衣類の着生の様子や、見た目の違いで、これは芦野石、こちらは高宕石等と見極めて、本当にこれは正しいのか?と反芻しながら観察内容を記録する。
平場ではなく、トロッコも、勿論、現代の重機も無い場所で、山から切り出し、その場でほぼ加工を済ませ、出来上がったらそれを背負子で担いで山を下りる。高宕石の普通のサイズの切り石( 82 x 24 x 22 cm, 1.6才 )を、博物館の収蔵品とする為に石切場の入り口から平場迄三人で運び出した事が有るが、他にも幾度か同じような経験は有るが、高宕石の時が一番辛かった。もう、此処からは滑らして落としたいと何度思った事か!!あのたった一度だけの辛い経験が、石工の苦労を思い起こさせるので、高宕石は房総半島産出石材の中でも特に愛おしい。広い範囲にまで流通して欲しい。
先行研究者の「これが流通範囲の限界」的な流通範囲から少しでも広い範囲に流通してきた事を確認出来ると嬉しい。
初めて高宕石を使った神社額に出会った。拝殿に飾られているので雨風から守られているのだが、額のすぐ前に鈴が置かれているので、神社額を単体で写真を撮りたい私には一台苦労だった。片手で鈴を思いきり左に降って片手でカメラを持って半ば鈴の麻縄にぶら下がるような体制でやっと写した一枚。鈴は賽銭箱の真上辺りに置くものらしいので仕方が無いが

龍を縁に彫った神社額は比較的少なく興味深い。彫が深い

別の神社の燈籠の基壇に使われていた石材の表面。白い細かな模様は石灰質の珪藻等の化石が造る模様だが、これは伊豆下田付近に産出する石灰質砂岩と全く同じで、これだけでは見分けが付かない。但し、この高宕石の場合は泥岩の偽礫(まだ石にはなって居ないので柔らかいが礫に見えるもの)を含んでいる事と、堆積方向の側面から見ると堆積時のラミナが殆ど観察されない(伊豆のものは風化すると明瞭に観察される)

一見、栃木と福島県境の「芦野石」に見える燈籠。造立は大正九庚申(1920)年なのであり得る事だと思ったのだが、実は・・・・
燈籠の火袋の部分に淡い圧密レンズの様なものが観察される。芦野石にしては前図の足元の風化が早過ぎるし、黴がやたらについているな!と思ったので
火袋の圧密レンズの様な部分をルーペで観察すると、レンズではなく堆積模様だった。
拝殿や本殿は平成に入って改修されており、礎石類が大谷石に変えられているが(騙されない!)、神楽殿の柱の束石は高宕石が使われていたのだが、一本の束石が剥がれていた。
取り出してみると、丁度貝化石が挟まっていて、化石の面で剥がれてしまっていたらしい。高宕石には、採掘場所により二枚貝や巻貝、ウニなどの化石がかなり大量に含まれていて
その石灰分で石材が固められている雰囲気なのです。
念の為、化石の裏面に薄めた希塩酸を一滴落とすと激しく発泡して石灰質が大量に含まれている事を教えてくれた。化石を含む岩塊は勿論元の場所に戻している。

※ 年初からこれまでの観察事例記録8,000頁余りを画像データを減らす事でDVD に収録できるサイズにする事を目標に作業を続けているが、やっと半分が終わった処、ブログへの記事のUPがおろそかになっていて申し訳ありません。暫く、こんな状況が続くと思うのですが、時々、思い出したらチェックして下さい

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