2018年5月13日日曜日

今は海から離れているが

千葉市の中央区はその海岸線の殆どが埋め立て地で構成されている。京成電車の新千葉駅近くに「登戸(旧称:登渡)神社」が在る。今日は午後から「房総石造文化財研究会」の
現役の石造彫刻師を招いての「石を彫る―石工の仕事―」講演会を会員でも無いのに、博物館の石材調査の仲間と聴講させて頂いた。午前中が勿体なくてこの「登戸神社」に参拝してみたの。
昔はほぼ港の傍の丘の上に鎮座した神社だけあって、水神社もこれまで見慣れた農耕神では無く「船中安全―清瀧丸」と船名入り

石垣の奉献者名を刻んだ明治九年の石額にも「三光丸」等の船名が刻まれている。

石垣は、角礫を含む湯ヶ島層群の緑色凝灰岩や、様々な石造彫刻物に使われている緑色の斑石(石屋さんの符牒は「みどり」らしい」も含まれる。

他にも、石灰質生物遺骸の豊富な石灰質凝灰岩や、石廊崎等で見られる半溶結凝灰岩の隙間に緑色凝灰岩が詰め込まれた奴も有るし、

井内石の足元にはチャートが観察される栃木の岩舟石もある。

相変わらず、石塔に刻まれた文字は、私には全く理解が届かないが興味深い半日だった。



登戸神社は正保元(1644)年の創建時には「白蛇山真光院定胤寺」と云う「千葉妙見寺」末寺の一つだったと云う歴史の古い神社。

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