2018年3月18日日曜日

奥州街道入口の街の凝灰岩質石材

現在の足立区六月・島根・栗原付近は旧奥州街道の入り口付近に当たり、色々と歴史的な興味引かれるものが点在している。半径400m程度のごく狭い範囲で、房州石に良く似た伊豆の凝灰岩を観察する事が出来たので御案内。
 地名の「六月」は、この地域の「炎天寺」と云う風変わりな名前のお寺に伝わる話しでは「平安時代後期の天喜四年(1056)に、岩手に向かう源頼義と八幡太郎義家の軍がこの付近で野武士の一隊に遭遇し、京都からの長旅で疲れ切った源氏は戦況厳しき折に、遥か京都の石清水八幡宮に戦勝を祈願。兵士らの心を引き締めて勝利に至ったという。これを喜んで、寺の隣に八幡神社を建立。村の名を闘いの有った六月から「六月」に、更に寺の名を源氏の白幡が勝ったので「幡勝山」、祈願が適ったので「成就院」炎天の最中だったので「炎天寺」と名付けたという。
 画像は
天下長久山国土安穏寺の唯一昭和以前の建築である鐘楼基壇に用いられた房州石に似た伊豆の凝灰岩

その刷毛目の様な美しい石材表面の例



石材の一部を拡大したもの。緑色凝灰岩の塊が混ざっている

「天下長久山」扁額が掛る山門

地元の歴史的な有力者旧「石鍋徳蔵家」正門脇の石材例

炎天寺正門脇の石塀の石材例

炎天寺石塀に嵌めこまれた寄付者芳名を刻んだ標石は伊豆の凝灰岩。

以上

0 件のコメント: