2018年2月15日木曜日

千倉町平館の朝夷石

 御先祖が、地元の石を切る「石工」になって四代目で現在も家業は石材屋を営んで居られる方から、大正時代にこの地で凝灰質砂岩を切出し始めた頃の資料と、昭和初期の須賀川石、本小松石そして花崗岩等の加工品の販売価格やこの地石を用いたかまど等の価格表を頂戴した。未だ、整理は終わっていないが、なんとか今週か来週中には、データの突合せが出来そうになって来た。

こんなに美しい石材が、石灰質で思ったよりは硬いのだけど、須賀川から運ばれて来た栃木の芦野石に似た石の価格の1/5で販売されていたと云う。昭和六(1931)年のこの地域の石工さんの手間賃が1円拾銭の時に、一切(才:30cm角)と云う取引単位の価格が40銭だった。1日に「尺六」の3.6切の切石を 10本程度は切出していたらしいから、単に石工さんの単なる手間賃の10倍位には成っただろうが、安かったのだな!と驚く。
 結構繊細で美しい石材の画像を数枚ご紹介したい。





この三枚は画像の幅が20mmの狭い範囲の画像です。白い部分は貝からの細片や石灰質生物遺骸の細片、黒いのは良く発泡したスコリアです。




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