2012年1月5日木曜日

人間の山 写真万葉録 筑豊(1)

1984年4月 上野英信氏と趙根在氏の監修による画像集の「人間の山」が出版された。
巻の1から順次出版された訳でも無いから最初がどの巻だったか記憶にないが、当時1800円の書籍が10冊も続けて出版されると言う事は、これは大変な事が起こったぞ!と思った記憶が在る。
神田の地方小出版流通センターに毎月通い手に入れていた。
「筑豊炭鉱絵巻」の次はこの「写真万葉集 筑豊」全10冊を取り上げなければと思いつつも、66歳にして、生き急ぐ私には心の余裕が無く、夫々の巻から1-2枚の画像を引用してご紹介しようとすると迷いに迷い選択が出来ない。でも兎に角始めるしかない。
第一回は「人間の山」から23頁の「掘る」をご紹介する。
上野英信氏はこの巻のあとがきを「この記念すべき大仕事の、それも最初の巻のあとがきを、こともあろうにこのような悲しみと怒りの言葉をもって書き起こす羽目におちいろうとは・・・。」と書き記す。1984年1月18日「魔の囚人ヤマとして悪名をとどろかせた三井三池鉱業所の有明鉱で坑内火災が発生し、八十三名の作業員が一酸化炭素中毒によって惨死をとげ、救出された十六名の負傷者もやはりCO中毒症にかかっているという」
ゆっくりとした歩みしか出来ないが、上野英信氏の関わった多くの書籍のその結晶の一つ一つをご案内してみたいと考えて居る。
尚、出版社は、福岡の「暗河」を発行していた葦書房。

北九州に育った私には筑豊は近い。父に連れられて、多分二人で幼い時に炭鉱に働く父の知人を訪ねて炭鉱町の中を歩いた記憶がる。戸畑の今で言う下請け・孫請けの一人親方が旋盤に腕を振るう鉄工所街のスラムの様な場所に住み、毎日をアスベストの粉じんが、小さな窓を通して差し込む光できらきらと輝く場所で生きて来たので、私と遊ぶと友人たちはアスベストの細かな繊維状の結晶がその皮膚に突き刺さりかゆみを訴える為に、共に遊ぶ友を失い、私は更にアスベストの舞い飛ぶ「倉庫」の、石綿を詰めた俵の山でターザンごっこをして育ってしまった。

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