2020年9月21日月曜日

旭市の「飯岡石」

 所用で銚子迄車で出掛けたので、帰りに以前からチェックしていた飯岡石と銚子石の石碑や石塔を見てこようと考えた。毘沙門天(荻園神社)と八幡神社では沢山の使用例を確認出来て幸いだったが、一番の楽しみにしていた飯岡石を50以上使った庚申塔は少々の勘違いでその直ぐ傍まで行っていながら、別の小さな塚を見るだけで帰宅してしまった。どうやら個人のお宅の様に思えた高い生垣に囲まれた場所に在ったらしいので、何れ再訪の予定だが、車でも旭市は遠いのです。

飯岡石と云えば、産総研・地質調査総合センターから発行されている「GSJ 地質ニュース」の6月号表紙を、飯岡石を用いた石塀の画像が飾っていたのを思い出した。マイナーな石材の画像を紹介するとは地質ニュースも大したもんだな!等と思ったのだが、表紙説明を読んでがっかりした。産総研にもフィールををやらないで記事を書く人が出て来たらしい。Google をチェックしてコピペでもしたのだろうかと思われる説明が書かれている。そこには「以前は海岸近くにもこのような石垣が見られたが,2011年の東北地方太平洋沖地震による津波でその多くが破壊され,現在は台地上にのみ残っている.」と書かれている。私は旭市の北側の標高40~60m程度の地域が「台地」だと思っている。

標高 8~10mの例えば県道「122号」沿いや玉前神社裏手の地区も「台地」と定義するのなら別だが、この付近を歩いて頂ければ立派な石塀・石垣・石塁が現存している事がお判り頂けると思う。この辺りは「飯岡石」の観察にはメインストリートと云える。歩かなかったのだろうか?

何時かもう一度行こうと思っている庚申塚のすぐ裏手の小さな塚にも飯岡石を使った「青面金剛」石塔が有る。桜の花が咲く頃に再訪して見たい。
「青面金剛」の造立年代が読めない。石灰質泥岩なので、一般的には結構長持ちするのだが、不均質なのでどうしても苔が付き易いし風化もしやすい。Googleで「毘沙門天」や「萩園神社」を検索しても飯岡石や銚子石は殆ど出て来ないのですが、この石材を見に行くのであれば裏手には見所が沢山有ります。
千葉県は月山信仰や巡礼の旅が今でも盛んな場所で旭市では「西国巡礼」に関する記念碑が数多く観察されます。これもその一つです。地元産石材は安価に手に入ると云う雰囲気がありますが、実はこの石碑の台石の部分は伊豆軟石:緑色凝灰岩が使われています。
馬頭観音です。下の方が少し風化で剥離しています。
前の画像の風化部を拡大したものです。念の為に 20 cm のスケールを置いています。この石材だけでは無いですが、剥離風化(玉ねぎ状風化)は良く観察されます。
チョット勇ましい形状の飯岡石ですね。これも巡礼に関する記念碑です。
墓石の例でかなり成形されていますので、銚子石と区別をつけ難い雰囲気が有るのですが、緑で囲んだ部分にはスコリアがあります。私は当初飯岡石は火山ガラスに富む白い鍵層が偶々石灰化を受けていると思っていました。理由は、板碑や記念碑に使われる大きなものには、ほぼ片面にスコリアの荷重痕があり、反対側には生痕化石が観察されるからです。実際には、千葉県立博物館のこの石のサイトに示されたように、石灰質の有孔虫の石灰化を受けている石灰質泥岩の様です。尚、この墓標の左右に並ぶのは銚子砂岩の家形墓標です。
表面が広く剥離したものがありました苔や黴の影響も着生していますがその着生分布から見ると「均質」では無さそうです。千葉には他に「成東石」や「高宕石」もありますが、石灰質の石材は興味深いものが有ります。
旭市と銚子市の境目付近で飯岡石や銚子石を私がこれまでに観察した位置図です。まだ行っていない場所が沢山ありますがのんびりと探し出していこうと考えています。国土地理院提供のソフトを使用して、観察場所をプロットしています。尚、参考までに赤丸の周辺に緑の線を追加した場所には、旭市でも代表的な飯岡石の石塀が現存します。両方とも偶々横を通りましたので現存しています。標高は10m以下でしょう。
参考用に、産総研・地質調査総合センター発行の「GSJ 地質ニュース」2020年6月号の記事を紹介します。同文は下記で閲覧できますし、子の頁無いからバックナンバーも閲覧できます。時々、面白い記事が有るのでお勧めです。
https://www.gsj.jp/publications/gcn/gcn9-6.html

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