2019年2月25日月曜日

南房総市和田町の石丁場(1):鯨の町と石丁場

私は捕鯨船の基地のある街で育ったので、体の基本部分の1割くらいの素材は鯨で出来ていても可笑しくないと思っているが、今回の石丁場の探索は地元の方々のご協力を頂いての調査なので昼食は当然鯨料理となった。
私は「鯨の竜田揚げ」流石に、メニューに鯨が多い。早朝、6時過ぎに出発し、帰宅したのが22時だから今回は結構な強行軍で、最後の打ち合わせは暗くなったお寺の駐車場で立ち話となってしまった。
石切り場が存在するのは、1/5万「鴨川」図幅地域の中の「中三原層」、隣の図幅に移ると「嵯峨志層」と呼ばれる地層に存在する。意外と大きな規模で採掘されていた事が判明。パット見の岩相が鋸山の「房州石」に似ているので、良く観ないと間違う恐れがあるが、どちらかと云うと地産地消型石材なので、遠距離には運ばれなかったらしい。
今回は、殆どが私有地で、家の(勿論許可を頂いて)裏庭に入ったり、御案内頂いて御自宅の庭を突っ切ったり、歩いてみたらかなりやばい滑落しなかったのが不思議な位の地形等と云うアクセスが多かったので、GPSのトレース図は公開できない。

昼食の鯨料理。私は母親の味ともいえる「鯨の竜田揚げ」。上は「鯨の一口かつ」。

メニューもいろいろ。選びやすい値段ですよね!

地震の化石と「バイン」構造。石垣に使われていた「石堂層」の泥岩ブロックに沢山刻まれていた。

枕状溶岩が切出されて石垣に使われていた。南房総ではこの様な例は実に多い。残念ながら石積みにはあの枕形状はそぐわないので殆ど整形されてしまっている。

南房総の「江見」付近で良く観察される。砂岩に穿孔貝が開けた巣穴群。ここまで徹底して巣穴が多いのはこの地域だけの様に思う、石碑の礎石に良く使われていて、石碑は勿論、宮城県石巻市産出の「井内石」

石切り場の崖は、風雨に晒されている場所では切目がハッキリとは残っていない。

切出しの際の「不陸」。ツルハシで溝を入れての採掘なので、このような段差がどうしても出来てしまう。

ラミナも有れば断層も有るので岩相変化が結構激しい。

粗いスコリアが目立つ部分。曇り空と思っていたら快晴の暖かい日で、白いスケールは選択ミス!

ややスコリアが細粒の部分。地層の傾斜はかなり大きくて、40度程度になる場合も有る。傾斜と走向の違いが、切り出した際の石材の印象を大きく変える。

パミス(ここでは潰されている軽石程度の意味に使っている。気泡は殆ど観察出来ない)や泥岩の破片もやや粗い層の中に観察される。
続く

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