2018年7月18日水曜日

新宿区内藤町一番地の記憶

 半世紀程前に、私が云うのも可笑しいかも知れないが、少々エキセントリックな考えを持つ友人と新宿御苑を散歩した事があるのだが、この時に、御苑に入るのに妙に歩かされて御苑に入った記憶が在った。その入口に行く長い道中に不思議な模様の石塀がかなりの距離に亘って続いていたのを思い出した。当時はまさか自分が凝灰岩を調べて歩き回る事等考えもしていない頃だったのでそのままになっていた。
 あの石塀は一体どんな石材を使った塀なのか、あれは今でも残っているのだろうか?等と考えながら御苑周辺の地図を眺めながら、その入口が何処だったのか考えてみて、どうやら「大木戸口」らしい事に気づき、千駄ヶ谷から遠回りして大木戸口までこの酷暑の中を歩いてみた。
件の石塀に出会う前に美しい縞模様の石材を外装に用いたビルに出会う事が出来た。幸先善し!画像を二枚。



多武峯内藤神社を抜けて

暫く歩くと、その石塀が記憶よりは短くなっていたが「内藤町壱番地」の住居表示の在る御宅等に現存していて、それもどうやら房州石らしいと見当を付けた。

「四谷区内藤町壱番地」は、現在も「丁目」が無いが「新宿区内藤町壱番地」なのだが、たまたまお話を伺う事の出来た小生よりややお年を召したと思われるご近所の方によると、この付近は江戸末から明治の初期に一挙に造成されたものらしく、全ての敷地がかなり広くそれもほぼ同じ面積の敷地を持ち、同じ石材の石塀が並んでいたという。













 記憶は確かだった様だ。石材はかなり粗粒の礫を含むものから、細粒の砂岩に類するものまで幅広い岩相が使われている。伊豆半島にも房総半島にも存在する類の石質で判別の難しい類の石材だが、緑色凝灰岩に相当する部分、或は緑色凝灰岩に頻繁に伴う火山岩礫が観られないので、おそらく房総半島・鋸山の凝灰岩であろうと考えた。
何時頃、この一角が造成されたのか今の処手掛りは無い。

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