2017年10月23日月曜日

嘉永年間のピンクのカリ長石:醤油業者の繁栄

野田は主要な産業が醤油の街で、利根川と江戸川を結んだ「運河」から北側で埼玉県と茨城県に囲まれた細長い地域です。
市内にはおよそ100余りの神社が有り、私もまだ1/4 強を歩いただけですが、中心市街地に存在する神社には財力を誇った醤油醸造業者の影響が強く感ぜられます。野田のある神社にはピンクのカリ長石を含む花崗岩が二対現存しますが、何れも嘉永四年と五年(1851-1852)に寄贈されたものです。産地は異なる様で、カリ長石の色合いもその含有量も大きく異なりますが、大量の醤油原料を搬入し、製品を江戸を中心とした地域に治めていた醸造業者にとっては、礎石を含めて3mを越える大きさの燈籠を運ぶ事は容易なことだったのでしょう。









 昨日は、地元の神社関係の資料を求めて野田の立派な市立図書館を訪ねた序に、五か所の神社を回りましたが、四か所に伊豆の下田付近で採掘されたであろう石灰質生物遺骸(コケムシ・紅藻類・フジツボ他)を大量に含む石灰質の凝灰岩が礎石類に使われているのを観察しました。(これまでの調査経験で伊豆の凝灰岩のなかで、一番目立たないけれど、一番多くの場所で使われている石材)醸造工場では、水に強い、この種の石材や栃木の岩舟石が大量に使われていて、石灰質凝灰岩の切石の大きなものは、一個が「三切」で185kgに達するものさえも存在する。

0 件のコメント: