2017年10月2日月曜日

杉戸町米野谷周辺でのFW:不思議な河川流路

 杉戸町と春日部の境に、中川(庄内古川・渡良瀬川)が流れているが、この一部に面白い流路の部分が有る。以前から地形的に気になって居たのだが体調がかなり復帰したので、願いかなって歩いてみたのが下のルート図。

一番北側のラインはバスで移動しそれ以外は、時計回りに徒歩で約11,000歩程度。文殊堂⇒桜神社⇒香取神社⇒倉常神社⇒才羽八幡神社⇒香取神社⇒香取神社⇒香取神社と八か所の調査を行ったが、文殊堂から才羽八幡神社までの五か所で淡青色の凝灰質砂岩や石灰質の生物遺骸が大量に含まれている石灰質凝灰質砂岩が本殿の礎石や基壇等に使われていた。葛西用水路沿いの香取神社は三か所とも改修等で全くその気配も見られなかった。
 倉常神社では、ご近所にお住いの氏子殿に色々とご教示を頂く事も出来て今日は大量のデータを得る事が出来た。
 椿交差点角に在る「文殊堂」の礎石は、風化が激しく大谷石に似て見えるが、粗粒の緑色凝灰岩。

桜神社の合祀された拝殿の礎石は同様にやや粗粒の緑色凝灰岩。これは「文殊堂のものとほぼ同じ石材と思われる

 南に下って春日部市に入る倉常神社本殿の礎石は、石灰質生物遺骸が大量に観察される石灰質凝灰質砂岩。

 米野谷の才羽八幡神社本殿の基壇は最上部はコンクリートで補強・化粧されているが四隅は倉常神社と同じ石灰質凝灰質砂岩で、それ以外は淡青色の細粒凝灰質砂岩。

時々大きな礫が含まれる。此の上の本殿礎石はかなり風化しているが、丁寧にコンクリートで補修し元々の石材を見せている。この神社の狛犬も、下田市立幼稚園丁場の石材に似た砂岩が使われており、やや小さな台石に「天保十三年九月」と刻まれているが非常に美しい状態が保たれている。

比較的最近、屋外に置かれるようになったものらしく、少し風化し始めているのが勿体ない。雨水の当たらぬ位置に置いてやりたいものだ。

 米野谷の御団子状の地形について、倉常の氏子の方からは「此処に砂丘が在ってとても美味しいお米が場所らしいです」と伺った。どの時代か判らないが、渡良瀬川か、庄内古川の時代の流路変遷で東側に膨らんだ時と西側に膨らんだ時の自然堤防がこの地形を形成したのではないかと考えている。
現在は耕地整理が行われているので高低差は目立たないが、砂丘が在ったと云う話からそのように想像。米野谷の才羽八幡神社に「米野谷修堤碑」があり、川が氾濫を繰り返していた事が理解される。

井内石を用いた石碑は苔が着生して読みにくいので、杉戸町教育委員会の説明板。
 地理院地図での標高は5~6m(私のGPSでは9m前後と記憶)と、これだけ内陸にはいっても、江東区東陽町のマイナス1mとの標高差が10m以下なのだから、河川勾配が小さく直ぐに洪水になってしまうのは頷けます。

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