2016年3月17日木曜日

古い画像だが 霧島連山 (3) 韓国岳を

1999年の丁度今頃の季節に、端を発して半年間入院生活を過ごした。悪性リンパ腫と言う奴だ。
抗がん剤を6回と放射線治療の併用で何とか生き延びて職場復帰も果たし、抗がん剤で全て抜けてしまった毛髪やその他諸々の全ての体毛が、何とか復帰してくれて外見上は体格の良い普通のおっさんに戻ってはいたが、2004年11月と言う時期は、まだ旅行中に体調不良に陥った場合に駆け込む医者への紹介状を持っての旅だった。
退院時に宣告された余命も残りぎりぎりで、「死都 日本」のシンポジュームに参加すると言う口実で、一番果たしたかったのがこの韓国岳を見る事と、鹿児島に住む友人に加久藤カルデラとその火砕流堆積物の露頭を案内して頂く事だった。
韓国岳は兎に角途中まで行ってダメならそこで引返す心算で、「ゆっくりと写真を撮りながら歩きますから、お先にどうぞ!」と言いながらゆっくりゆっくり歩いたものだ。
これは早朝の明けの明星だろうと思う。水星ともう一つは何だったか?周囲が霜で真っ白だったのは記憶にある。

前日に行き損ねた甑岳。甑岳に向かう道が樹勢の割れで見て取れる。

火口底が見える。山頂まではもうすぐそこだ。

暫く迷ったのだが、同年配の方から、もしえびの高原に戻るのならタクシーを相乗りしませんか?と誘われたので、私はかなり時間が掛かりますよ。と念押ししたのだが、かなり強く誘われたので、これを過ぎればもう後は登りは少ないと思い、先に進事にした。これは多分「琵琶池」の稜線だろう。


獅戸岳らしいのが見えてきた。これを越せば後は新燃岳である。もう引き返せないから先に進しかない。体力が減退しているのが凄く体に響いてくるのが良く判る。でも、韓国岳に登れた!新燃岳も越せそうだ!と思うとあの時は涙がボロボロこぼれたのを覚えている。

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