たまに武蔵野線からの騒音が聞こえる越谷市七左町の観照院と隣り合わせの稲荷神社(地図表記では天満宮,鳥居には稲荷神社)と観照院墓地の間の通路の脇に燈籠のどうやら用済みらしい石燈籠の部材が置かれており、私が取り敢えず注目したのはその下の淡褐色の石材で、伊豆は須崎~下田付近に産出する石灰質生物遺骸を大量に含む凝灰岩なのだが、チェックを終えてフト!上に載った石材を見ると厳めしい獅子の姿が在る。
最近、草加宿の石工「青木宗義」の二代目について調べ、草加の地図に記載されていない小さな神社の氏子総代さんに12頁の簡単な報告書をお出ししたばかりなので つい、作者の銘を探すと、隣の台座には願主のお名前と共に石工の名が「草加宿石工 関八州石工頭子孫 神流齋 青木庄左エ門宗義」と刻まれている。
草加宿に定住後の初代青木宗義が神流齋を名乗り始めたのだが、これまでの調査では「神流齊」は初代だけが使っていた事が確認されており二代目以降が用いた例は確認されていない。「二代目青木庄左エ門」の記載は確認されている様だが、絵画に秀でた技術を持ち「画号」として「神流齊」を用いた筈なのに、これを二代目以降が使ったとは不思議でならない。もう一つ、他の署名は「関八州石工司子孫」なのだが、今回は「関八州石工頭子孫」とあり、明らかに初代では無いと思われる。尚、建立の年号は台石には刻まれていなかった。草加と越谷は、一応今月中に整理したいと思っているのだが、この調子では、時々未見の社寺を覗きに行かなければならない様だ。
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