
2011年6月18日土曜日
房州石・古墳(R-5) 明鐘岬附近

2011年6月17日金曜日
房州石・古墳(R-4) 明鐘岬附近
2011年6月16日木曜日
房州石・古墳(R-3) 明鐘岬附近
2011年6月15日水曜日
房州石・古墳(R-2) 明鐘岬附近

環伊豆蛇紋岩地帯と言う言葉がありますが、房総半島の鴨川から保田の間に広がる凹地や嶺岡山地にこの蛇紋岩が分布し、それは三浦半島の衣笠駅附近や横浜横須賀道路の横須賀IC附近に続いています。国土地理院からの1/25000地形図は閲覧サービスで無料なので仕方が無いのかもしれませんが、何年経っても更新されない部分が残りますね。池上5-4丁目にはバイパスのトンネルが既に供用されていますが、この附近のトンネル工事はこの蛇紋岩の存在で大変な難工事でお金が掛っています。興味が有りましたら、2010年5月20日から6月20日までの画像をご覧下さい。池上附近の阿部倉トンネル周辺のものものしい道路用擁壁の様子がご覧になれます。
尚、その前の4月7日から5月19日までは、この房総半島から三浦半島に続く主として城ヶ島の地層のご紹介が延々と続いています。
この存在はこの地域の地質がかなり興味深い存在だと示唆しています。
2011年6月14日火曜日
房州石・古墳(R-1) 明鐘岬附近

崖は崩壊防止の為に壁面に「アースアンカー」で繋ぎとめています。この附近の地形をグーグルやヤフーの地図の写真モードで見ると、この一角がひっくり返った船底の様に盛り上がって見えます。
http://yj.pn/LNpPgR コピペで!
でも実はこの附近は反対に、船底の様に大地に突き刺さっています。この部分はマア古墳とは関係有りませんが地質屋には興味深い場所です。撮影した場所はこの附近。この風景の中に鋸山に登る有料道路の入口もあります。鋸山にはこの山の北側からロープウエイで気軽に登れます。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350900&l=1394946
2011年6月13日月曜日
房州石・古墳(Q-6) 川崎馬絹古墳

これで川崎馬絹古墳の画像は終りです。
この後は鋸山・明鐘岬の地層と海岸風景をご案内します。“N”の不動岩附近と対になる風景です。その後は少々道を外れますが古墳石室や石棺の天井石・蓋石に使われる秩父の変成岩をご案内してこの古墳に使われた岩石シリーズ(?)を終える予定です。千葉県の富津磯石を使っている古墳をもう少し歩いてみたいとは思っていますが、これからは私の趣味のメインである火山地質に関連した散策が多くなるのでどうしても機会が減ってしまう事になるでしょう。古い「日本考古学年報」(日本考古学協会発行)を数冊手に入れましたので、何か関連する画像や記載を見付けたらご案内したいと想います。尚、三浦半島には、砂泥互層が広がっていますが、これについてはこのブログの2010年4月7日から5月19日まで画像が延々とあります。但し、「古墳」に使われている「磯石」という観点抜きなので、只ただ地層の画像の連続なので・・・
2011年6月12日日曜日
房州石・古墳(Q-5) 川崎 馬絹古墳

小生の母の故郷は九州は佐賀県。佐賀平野のど真ん中だ。正月を迎える儀式の中に、集落の側を流れる川の河川敷から白砂を採集してきて屋敷内の我々の通路部分に撒き、正月はこの細い道を歩く事と成る。種類は忘れてしまったが、榊だったろうか?木の枝で箸を造り、雑煮はその箸を使って戴いた様にも記憶する。
古墳に泥岩を使う理由の一つに、その白色、清浄な結界を作る意味があったのだろうか?などと地質屋には不相応な事に想いを巡らせて仕舞った。
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