2011年5月14日土曜日

房州石・古墳(N-13) 不動岩:富津磯石の故郷へ

少々見にくいかもしれないが、この附近の垂直に近く立って仕舞った地層の中にはこの様に少々円礫の様になった泥岩が多数巻き込まれているものがある。地震等で浅い堆積層の未固結の部分が崩壊し、深い部分に流れ下って堆積したものらしい。と言う事は、この部分は比較的深い部分に堆積した地層だと思われる。
一昨日の夜から、このブロガー全体がソフト改善作業が旨く行かずにストップしていた。この画像も一度はUPしていたのだが消去され、他の夜に訂正追記した部分が焼失している。誤記に気付き訂正した部分が反映されず、そのまま残り、それを訂正出来ない時のもどかしさ!読む事は出来たのが困ったものだ。原稿を残していなかったのが失敗!

2011年5月12日木曜日

房州石・古墳(N-12) 不動岩:富津磯石の故郷へ

前の画像の下の方にも一つ、泥岩の丸まった断片が見えていたが、この地層にも泥岩が壊れて紛れ込んでいる。成層した様子が残っているので、ある程度の強度までは固まったものが、地震や混濁流で流されて堆積したものだろう。この画像の範囲内ではそれ程量は多くなかったけれど、別の層準では泥岩の量が恐ろしく増加している。この附近の地層が堆積した時期はそれ程静かな堆積環境ではなかったらしい。

2011年5月11日水曜日

房州石・古墳(N-11) 不動岩:富津磯石の故郷へ

海岸の比較的白いこの岩も実に垂直に近く地層が立ってしまっています。砂泥互層に見えるのですが、この裏側にはまた別の興味深い地層が見えます。古墳をチョイトばかり離れて、地層の面白さを楽しんで下さい。
遠くに見えるのは、三浦半島の観音岬附近です。

2011年5月10日火曜日

房州石・古墳(N-10) 不動岩:富津磯石の故郷へ

表面を少し観察してみよう。この部分はスコリアのサイズが大きい。堆積した時は、図の上下が反対のたい積方向なのだが隙間が多いので、この場で一時的に堆積したと考えるより、ラハールなどで流れて来て堆積したのかもしれない。

2011年5月9日月曜日

房州石・古墳(N-9) 不動岩:富津磯石の故郷へ

岩塊をもう少し別の部分で見てみると、砂泥互層でその境目から綺麗に割れている事が判ります。このような岩塊の採集(採石)は、作業性から考えて、砂浜の近くがやり易いと思うのですが、どう思われますか?

2011年5月8日日曜日

房州石・古墳(N-8) 不動岩:富津磯石の故郷へ

最近、数百年間、いや千数百年の間、海岸の岩塊を採石して利用する事がないので、(古墳時代に此処で採石した証拠は無いが)海岸線にはこの様に古墳で使用されているのと同じ程度の岩塊が散乱している。長い古墳時代に、どの程度の時間間隔で、古墳を築く為に岩塊を採石したのか?判らないが、これだけ長い海岸線に泥岩砂岩(砂泥互層)が有れば不自由は無かっただろうと思う。

2009年9月に最初のブログ「まくら状溶岩の露頭」をスタートした。どちらも出来るだけ毎日UPするように留意しているが、巡検(見学旅行など)やその他の事情でUP出来無かった日々も多い。
両方でご紹介した画像は夫々ほぼ500枚200MB程度。従って、そろそろ合計で1000枚。400MB程度になる。このブログをスタートした時は無料のブログの許容データ量は300MBだったが何時の間にか1000MBまで許容されるようになって居た。広告も掲載せずに、良くマア ブログを続ける事が出来るものだ!無償じゃなければ年金生活者には無理な話だった。世の中捨てたもんじゃ無い!
元気でいればの話だが、後2年くらいは続けられそうだ。続けて見たい!が段々体が自分の意思を反映して動いてはくれなくなっているのでどうなる事やら?1年間に4万キロも列車に乗って移動していた頃が懐かしい。