
2011年2月5日土曜日
房州石・古墳(A-6)金谷の街で

2011年2月4日金曜日
房州石・古墳(A-5)金谷の街で
2011年2月3日木曜日
房州石・古墳(A-4)金谷の街で
2011年2月2日水曜日
2011年2月1日火曜日
房州石・古墳(A-2)金谷の街で

と書かれています。(鋸山と房州石:千葉県立天羽高等学校 高梨正氏)また、竹岡層については、1990年に発行された1/5万地質図幅「那古地域の地質」第28頁には上総層群竹岡層として模式地は北隣図幅「富津」市竹岡としています。岩相は「顕著な偽層の発達した直径2mm-1cmの安山岩質スコリアと安山岩質岩片を主とする凝灰角礫岩の互層、白色軽石を多く含む点で三浦層群の萩生層と差異がある。」と書かれています。
2011年1月31日月曜日
房州石・古墳(A-1)金谷の街で
2011年1月30日日曜日
房州石・古墳・富津磯石

千葉県や神奈川県に長く建材として使用された岩石に房州石があります。岩の質も見た目も生成年代も異なる時代の岩石を捉えて、既に長い間建材として使用されてきた房州石と同じ名前を、学問の系列が異なるからと、何時誰がその様に言い始めたのか知りませんが、そのまま使い続けて居ると言うのは一種の傲慢でしかないと思います。
このブログでは房州石の地元の代弁をしようなどとか、房州石や富津磯石についての科学的研究成果を発表しよう等と言う大それた事を考えて居る訳でもありませんが、まず最初に世間一般に流通している房州石が使われている例を見て頂き、次に古墳や古墳類似施設の石室に使われている生痕化石のある泥岩・砂岩を見て頂く事でその違いを知って頂ければと考えています。更に、それらの存在する千葉県富津市の磯根岬から房州石の本来の産地である鋸山までの内房の海岸線の地質風景をご案内してみたいと考えています。
上の画像は金谷の町にある美術館の外壁に使用されている美しい房州石のブロックの画像です。このブログの一番最初の画像は、足利市で観掛けた房州石でした。もう一枚の画像は、二枚貝の生痕化石がある凝灰岩質泥岩の例です。産地は異なりますが貝殻が入っている例を見て頂く為に、房総半島と地質的な繋がりが強い三浦半島で撮影した画像を用意しました。博物館内で撮影した画像は撮影許可は頂いていますが印刷物やHP等に使用するには別に許可が必要なのでこの画像を使用します。
何故、白い石なのか?何故、穴の多い石を用いたのか?疑問は尽きませんが、脇道に逸れないように出来る限り毎日画像をUPして行きたいと考えています。
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