2016年6月25日土曜日

品川宿で海岸の護岸に使われた房州石 (2)

私は千葉県の柏市と言う千葉県北西部に住んで居るので、房州石の調査は千葉県内と柏からのアクセスが便利で交通費が比較的掛からない東武線沿線の荒川や古利根川を中心にしている。
年金生活ではとても首都圏西部・南部まで手を広げる事は出来ない。
ただ、お台場付近は一応押さえておかなければとの気持ちも無い訳では無かったのだが、丁度この方面に所要が出来たので、今回の「品川遠征」に至った次第。
昨日の画像の最後に、品川歴史館のロビーに展示されている石材が用いられていた擁壁の残りの部分の画像を置いたが面白い事に、下の画像の様に丁度その半分ほどの処で奥(右)が伊豆石、手前(左)が房州石で築かれている。

まず、伊豆側を御紹介しよう。上の画像から続く擁壁の画像は一部重複させている



この3枚で伊豆石の擁壁全てである。
下半の石材は安山岩質溶岩。「伊豆(軟石)」の特徴的な石材としては、石灰質凝灰質砂礫岩で、石灰質の基となる生物遺骸を含んでいるこの石材を挙げることが出来る。



この石材は少し珍しい。部分的にこのような岩相が出て来るのか、或いは石垣の内部に主に使われるのか?

これは汚れていて細かな所が良く判らないが、三浦半島~鎌倉石と言われても反証はない。

2016年6月24日金曜日

品川宿で海岸の護岸に使われた房州石 (1)

品川区立品川歴史館を見学させて頂いた。
ロビーに、品川宿の海岸の護岸に使われていた房州石が仮置き展示されていたので、許可を得て撮影させて頂いた。宿場町の、旧東海道から一本海岸側に入る路地は、東海道側から見ると少し「段差」があるのだが、これが昔の海岸線らしく、所々に護岸の石材が残っている。たまたま、その一部をコンクリート製の擁壁に改修する事となり、丁度角の所の石材を寄贈して頂いたもの。
各地を調査して歩いてもこれだけきれいに清掃されたものは中々お目に掛かれないので、この様な石材の観察は嬉しい。
一日、旧東海道に沿って立会川から北品川付近まで歩き回ってみたが、房州石よりも伊豆の凝灰岩の報が遥かに多い事が判った。これらは後々御紹介する事として、今日は品川歴史館に展示されていた石材を数点御紹介する。











説明書きにも有ったように、擁壁は“L”字の短い辺だけがコンクリートの擁壁に変えられたが、現地にはまだ、その長い辺の部分は残っています。途中で色が変わっていますが、手前側は房州石、奥は伊豆石とされています。奥の下半分は安山岩系の石材です。

2016年6月22日水曜日

凝灰角礫岩の中のバリエーション

比較的良く目にするので、つい見過ごしてしまいそうな石材に芦野石の様な凝灰角礫岩がある。
圧密構造(ユータキシティック構造)だけ見ていると、芦野石と白河石の中間なのだろうかと思ってしまうのだが、一つの構造体の中に混じっていると、本当に同じ産地の石材なのか?それとも、江戸当たりの大きな石材屋がその用途に応じて各地に手配した産地が異なるけれど、違和感がない程度に岩相が似たものなのか、判断が付かない事も多い。
礫が含まれている部分には圧密構造は無く、レンズが有る場所には礫は殆ど無い。両方が適度に混じった断面を見る事が出来れば嬉しいのだが、ここもチョット中途半端かな。やはり石切場で探すしかない。
例えば、以下の例はある寺院の階段に用いられた石材を側面から見たもの。
スケールを置けなかったので、同じ1600x790pixelsで採りミンギしてみた。








さて、同一の石材に見えるだろうか?

2016年6月21日火曜日

東中山,羽黒神社の境内社礎石

駅の近くながら結構な大きさの木々が茂っていると思ったら、境内に明治37(1904)年に建立した根府川石とみられる石碑が有り「社殿新築紀念造林」と刻まれていた。112年前に植林したものが現在も大切に守られているらしい。
境内の鳥居と拝殿の間の参道に向き合って四体の境内社が祭られている。夫々、「妙見社」、「熊野社」、「天神社」と「摩利支天」である。屋根部分は安山岩系の石材が用いられているが、祠の本体は下田付近に産出する「石灰質凝灰質砂礫岩」であり、年号には「明治廿四年一月廿日と二月一日が刻まれている。房州石と比較し易い、石材で大変に広範囲に分布している。



背面側は平らなので石材の観察には適している。
背面の横幅は大体26cm程度。まずは全体像。

粗粒の部分を約半分の幅で切り取ると

同じサイズで、細粒の部分を切り取ると

砂泥互層の様な明瞭な境目は観察し難いが、石灰質の供給源となる貝砂やコケムシ或いは石灰藻等が偏るので、風化が進むと、何時までも残る部分と浸食剥離し易い部分の差がはっきりと出て来る。祠の台座(一体部分の)の部分が所々、水たまりになってしまうのか風化が進んでいて、剥がれた数ミリの破片が有ったので、希塩酸で確認すると、剥離片で有るにも関わらずかなりの発泡が確認出来た。年号を刻んだ部分もこのようにはっきりと残っている。1891年製だから125年経過。


使われている石材とその想定される産地:粒度分布が明瞭に分かれている。石灰質凝灰質砂礫岩;伊豆軟石;下田市敷根付近
資料整理番号:No.122041-02, 最新の調査時期:2016年06月17日
地理院地図10進座標系:35.713808,139.952710

2016年6月20日月曜日

牛の彫像に用いられた石灰岩

船橋市の中山のある天神様で不思議な、石灰岩を用いた「牛」の彫像に出会った。天満宮と牛の組合せには不思議は無いが、最初は破面から見て泥岩かと思たのだが調べてみると石灰岩であった。背中にその特徴的な斑紋が見える。

層状石灰岩と言うのはよく見るが間に泥岩が混じって多少の擾乱を受けながら生成したのかもしれない。この模様の方向に一致した面で牛のしっぽの部分で断面が見えていた。
背中の部分のその模様の一部を拡大して観るとこの様な感じである。

2016年6月19日日曜日

浜金谷 房州石造石蔵 (3)

今回の房州石の画像はこの3回で終わりです。
少し細粒の房州石の繊細な模様を紹介しなければと思ったのでこの位見て頂ければ十分でしょう。石材一個分の画像とその後の2枚はおよそその半分を拡大したものです。







パミスの塊が在る石材が在り、スケールが入っているのでこれも見て見ましょう。

パミスの多い部分を横幅55mmで切り取ってみました。

さて、最後に、少々悩ましい岩片を見付けてしまいました。